【体験レポート】ヴィパッサナー瞑想合宿センターは怪しい宗教組織なのか?

ヴィパッサナー瞑想合宿体験記

2日目:座るポジションが安定

2日目は体の痛みを軽減しようと試行錯誤しながら瞑想した1日だった。

瞑想ホールの後ろにある小さなマクラや毛布、カットされたバスマットを使ってより楽な姿勢を探す。

グループ瞑想や各自瞑想の時間を使って体への負担が減る座り方を試した結果、この方法が自分にとって一番楽なセッティングだと判明した。

体の違和感を見つけては、その違和感を収束させるセッティングを試していたのだけど、決定的に体を楽にしたセッティングのアイデアは、目の前にいた古い生徒のセッティングから入手した。

(初めてコースに参加する人は新しい生徒と瞑想センターでは呼ばれ、2回目以降の参加者は古い生徒と呼ばれる)

これである。

くるくる巻いた毛布で腰からヒザを囲む。ヒザの下にクッションを入れることで左右のバランスがとれ、太ももの重みがヒザ下に乗らないので痛まない

古い生徒のうち2人が同じ方法をとっていた。

腰の後ろに毛布を軽く当てることで骨盤が立ちやすくなり、膝の下にも入れることによって膝の高さが左右均等になる。

古い生徒はかつての瞑想コースの日々で試行錯誤したに違いない。

彼らのアイデアを採用し、座ることが劇的に楽になった時、彼らに対して感謝の念を感じずにはいられなかった。

楽な座り方を早く見つけられるかがコースを有意義にするコツ

ヴィパッサナー瞑想の目的は平静さを保つことである。

そのために体の感覚を観察する。

瞑想をすることで体の感覚を観察するクセがつき、感覚を痛みや不快感に変化させない技術を手に入れることができる。

その結果、何か精神的にショックなことがあったときや、体に不快な感覚が生まれた時にも、苦しまずにいられるようになるのだ。

10日間のコースで最終的にはそんなノウハウを手に入れることができるのだが、コースの最初の時点ではまだ瞑想の能力が磨かれていないので、体の痛みを心に作用させないことは難しい。

痛みが強すぎると体の感覚に集中しづらい。

そのため「早い段階で体の痛みを軽減できる坐り方を見つけること」が瞑想合宿を有意義にする上でのキーポイントとなる。

僕の場合、2日間体の痛みと向かい合い、より楽なポジションを見つけたことで痛みから解放され、翌日3日目は劇的に瞑想状態が向上することになった。

3日目:高い集中状態に突入

体の痛みから解放されたことでより鼻を通る空気に意識を向けることができるようになった。

4日目になってわかるのだが、実はこの時点で実践していた瞑想法はアーナパーナ瞑想というヴィパッサナー瞑想とは違う瞑想法だった。

鼻と唇の上のエリアの感覚に集中し、自然と湧いてしまう雑念というゴミを捨てていく瞑想法

鼻を含めた大きな三角ゾーン

3日目に入り、意識する領域を小さくする指示が出された。

鼻本体は感覚を感じやすいのだけど、鼻の下の部分は想像以上に感覚が薄かった。

いつまで経っても感覚が強くならないので、「鼻の下は感覚の弱い部分なのかもしれない」と諦めたのだが、その途端に感覚が生まれてびっくりした。

鼻の下の感覚が出てきてからは、どんどん集中力が高まっていった。

鼻の下の小さな3角形以外の周りの感覚がすべて消えていく。この世に鼻の下の3角形以外は存在しないかのようだった。

宇宙でポツンと存在する地球のよう。

実際にはそんな小さな3角形が瞑想ホール内にいる参加者の鼻の下に点在していて、太陽系のような状態だったのだろうと思う。

かなり深い瞑想状態に入ることができるようになったことで自信を深めた。

瞑想時間が終了したときに告げられる鐘の音を聞き、目を開けた時には毎回生まれ変わったような感覚さえ覚えた。

スッキリして浄化している自分を感じた。

瞑想がうまくいきだして自信がついたことは良かったのだが、2日後、この自信が裏目に出ることになる。

4日目:初のヴィパッサナー瞑想で恍惚状態に

4日目、ついにヴィパッサナー瞑想が始まった。

ブッダが祇園精舎などの瞑想センターで行なっていたものと同じ瞑想法。

ヴィパッサナー瞑想のやり方

ここで簡単にヴィパッサナー瞑想がどんな瞑想なのかを話しておきたい。

ヴィパッサナー瞑想は一言で言えば、体をスキャンしていく瞑想だ。

やり方はいたってシンプル。頭頂部の感覚をまずは観察し、その後上から順番に観察していく。

頭頂部→顔の前面→頭の裏側→肩→腕→胸→腹部→背中→太もも→ふくらはぎ→足の裏

足の裏まで行ったら、今度は足の裏から頭頂部を目指す。

慣れないうちは体の感覚を感じづらいから、より小さいエリアで少しずつ観察する。

例えば顔だったら、

おでこの右側→左側→左の眉毛→右の眉毛→左のこめかみ→右のこめかみ→etc…

という感じで小さく小さく観察していく。

その際感覚の弱い部分や強い刺激(痛みだったり違和感だったりする)のある部分を確認しておき、頭から足の裏、足の裏から頭頂部へと往復した後に、確認しておいた特定の部分を観察する。

感覚の弱かった部分ももう一度そこだけ観察すると、弱かった感覚が少しずつ感じられるようになってくる。

痛みや違和感も観察していくと、刺激が弱くなり、落ち着いた状態になる。

痛みがなくなっていく感覚は不思議な感覚だった。

普通は体に痛みがあると、その痛みから逃げようとするし、「向こうへ行け!」って思っちゃうものだけど、観察し、痛みと向かい合うことで痛みの方から去っていくことに驚いた。

ブッダはそれをアニッチャと言った。無常を意味するパーリ語。

すべてのものは移り変わる。ずっと同じものなど何もない。感覚とは次々とやってきては去っていく雲のようなもの。雲をつかむことはできない。雲をその場に留めておこうとしたら苦しい。それは叶わないことだから

僕は無常というものをそう捉えた。

痛みの存在に執着しないこと。「いつかは去っていくのだ」と思っていればいい。

最初のうちは感覚の弱い部分をなかなか感じられなかったり、痛みや違和感がなかなか去ってくれなくて執着してた。ずーっとその部分を見つめ続けていた。でもそのことを先生に相談したら、「最長5分ほどにしたほうがいいよ」と教えてくれた。

順番に特定の部位を見つめては次へ行く。そして再び戻ってきたとき感覚は変化している。執着する必要はない。

お皿にこびりついた汚れは水に浸しておけば楽に落ちるようになる。固執せずに変化を待つことも大事なのだと思った。

ヴィパッサナー瞑想をやる上で大切なこと

ヴィパッサナー瞑想をする上でとても大切なことがある。

それは「完璧な平静さを保つこと」。

感覚がなかなか観察できなくても、痛みが耐え難くてもそれを心に反映させない。

Just observe

ただただ観察するのみ。

感覚は感覚でしかなく、感覚を痛みや不安にするのは自分自身なのだ。

今までだったら痛いと認識していた感覚が体の中でどんな感覚として存在しているのか、不安によって生まれる体の感覚はどういうものなのか観察していると、その感覚は心に反映しない。

冷静に見つめ続けることができるようになる。

これができれば日々の生活で心乱れるようなことはなくなる。

嫌な言葉を投げかけられた時、不快な思いをした時、その時に生まれる体の感覚を見つめ続ける習慣がつき、瞑想をしている時のように体の感覚を心に反映させないでいられるようになればずっと笑顔でいられる。

それがブッダの教えたかった「苦しみから解放される生き方」なのだ。

ヴィパッサナー瞑想のルール

ヴィパッサナー瞑想はそんな風にして行うのだけど、一つのルールがある。

体を動かさないこと

どんなに痛くても動かさない。

痛くて動かすということは体の感覚を心に反映させている証拠。

最初は苦しい。感覚を心に反映させているから。

でも毎日瞑想を10時間もやり続けることでどんどん体に生まれる感覚を心に反映させない技術が身につく。

ヴィパッサナー瞑想を始めた時はこの「体を動かさない」ということが苦行だった。

2日目の時点ではアーナパーナ瞑想だったので、体を動かしてはいけないという指示はなかった。

だからアーナパーナ瞑想の3日間は痛みや違和感が生まれた時には姿勢を変えたりしていたのだけど、ヴィパッサナー瞑想に入ってからはそれができない。再び体の痛みとの戦いとなった。

アーナパーナ瞑想で痛みと葛藤し、それを解決した。そして今度はヴィパッサナー瞑想で痛みと向かい合い、再び解決しなければならない。

段階的に能力を伸ばしていく。その無理させない姿勢がブッダらしいなと思った。

アーナパーナ瞑想3日目の時点で集中力がかなり高くなっていたから、初めてのヴィパッサナー瞑想体験は素晴らしいものとなった。体の感覚をビンビンに感じ、全身が微弱な電気に包まれるようだった。

胸と下腹部、足のすねの部分の感覚がその時はまだ弱かったのだけど、全身を巡る鳥肌のような感覚がゾクゾクものだった。

体の感覚を英語ではセンセーション(sensation)というが、文字通りその全身を巡る感覚はセンセーショナルだった。

丸一日ヴィパッサナー瞑想をした夜、18時からのグループ瞑想では強烈な恍惚感に襲われた。

多幸感。

「こんな感覚を毎日味わいたい」

そう思った。

この時の恍惚感がその後の2日間、僕を苦しめることになるとはこの時点では知らなかった。

初めてのヴィパッサナー瞑想は強い恍惚感を僕に与えた

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