僕と不食との出会い – 2度にわたる不食実験でわかったこと

 

不食実験を始めてから今日で20日経った。

今やっている不食実験については1ヶ月経ったらまとめようと思っている。

なので今回は僕と不食との出会いについて書きます。

 

 

非常識なことに惹きつけられてしまう性分

僕はもともと食に対する執着はあまりない

食べることは好きだけど、「食べたいものある?」って聞かれても、「特にないなぁ」って感じ。

美味しければなんでもいい。

たいていのものは美味しく感じる。

 

子供の頃からテレビをほとんど見ないで育ったことも大きいかもしれない。

小さい時から目が悪かったから、テレビはほとんど見せてもらえなかった。

昭和の終わりに起こったファミコン全盛時代にもゲームをしていない。

同級生の会話がほとんど分からなくて孤独感を感じた時期もあったけど、今はそれでよかったなと思っている。

 

おかげで独自の視点を持てるようになった。

大人になった時、テレビを通した常識を持っていないことはプラスに働く。

みんなが当たり前に思うことが当たり前に思えない能力。

そんな経験が積み重なったことで常識を疑う目が養われた。

そうして育った感覚が僕を不食、「人は食べなくても生きていける」という信じられないほど常識外れな世界に引き寄せたのだろう。

 

不食本との出会い

不食と出会ったのは、バイクメッセンジャー(自転車で荷物を運ぶ仕事)をやっていた頃に同僚から勧められた1冊の本だった。

 

2007年、ちょうど10年前だった。

夢中で読んだ。

ずっと貧乏していたから、「食べなくても生きていける」「お金から自由になれる」ということに希望を抱いた。

そして不食を実行した。

 

初めての不食トライアル

まずは4日間ほとんど食べずに過ごした。

その後伊豆高原にある断食施設「やすらぎの里」で1週間の断食を実行。

戻ってきた後さらに1週間、ホテルの配膳のバイトをしながら継続した。

18日間の断食。

 

断食施設「やすらぎの里」に行くところまではよかった。

フラフラながらも断食の気持ちよさを感じることができた。

 

不食とストレスの相性の悪さ

しかし、その後も継続したホテルのバイトをしながらの断食が壊滅的だった。

肉体的・精神的ストレスがかかる状況で食べないでいるとただただ衰弱していく。

 

あの時はまさに餓鬼のようだった。

餓鬼

不食で餓鬼のようになった僕のイメージ

 

ガリガリで渇望感しかなかった。

「このまま不食を続けたら死ぬな」と思った。

 

不食のせいで彼女との関係も危うくなった

当時の彼女、今の奥さんの心配もピークに達していた。

ホテルの宴会場で一緒に働く同僚だった彼女は、虚ろな目で小さなテーブルさえまともに運べないを見て心配していた。

 

そんな状態なのに家に帰っても彼女の作った食事を食べない。

彼女の心配は怒りに変わり、怒りから無関心に変わっていった。

死にそうな状態なのに、「まだまだ。もっとこの先を見てみたい」という気持ちが止められない。

「食べることから自由になりたい」

「そしてお金からも自由になりたい」

そんな未来を夢見て意地になって続けていたが、結局彼女との関係が崩壊しそうになったので「意地を張るのはやめよう」と思った。

 

大切な人との出会いはそうそうあるものじゃない。

「彼女との関係と不食、大切なのはどちらなのか?」

 

結果は言うまでもなかった。

そうして1回目の僕の不食トライアルは18日で終わった。

 

不食に取り憑かれて死亡した人もいる

あれからしばらくした時、こんなニュースを目にした。

「福岡県に住む男性が死亡。家族によるとこの男性は食べることを拒んでいたという。食べるように言っても聞かない。その結果の餓死だった」

これを見た時、「あ、これ不食の本読んだんだろうな」って思った。

もしかしたら違うかもしれないけど。

 

不食にこだわり食べるように言う彼女の言葉を拒み続けた自分の姿がニュースの男性のイメージとダブった。

今だから思うが不食は意固地になって実現できるものではないと思う。

心の豊かさの果てにあるもの。

心の豊かさが感じられないのなら失敗だと思う。

その時は中止すべきだ。

 

10年ぶりの不食再挑戦

そして今、僕はまた不食に挑戦している。

10年ぶり2回目のトライアルだ。

 

10年前と比べて、不食を取り巻く環境は変わった。

秋山佳胤さん、美智代さんという不食者のスーパースターが日本にも現れ、

食べないことや断食のメリットが以前より世の中に浸透した。

 

食べなくても生きていけるという確信を持つことの大切さ

書籍も増えた。

今回10年ぶりに「もう一度不食に挑戦しよう!」と思ったのはこの本を読んだからだ。

 

10年前は僕の中であやふやだった「食べなくても生きていける」という考え方は、これを読んで確信に近いものになった。

「これだけ多くの人が食べなくても生きていけるなら、僕だってできるだろう」と。

19日経った今でもこれほど心地よく過ごせているのは、その確信が生まれたことが大きいと思う。

 

食べないことに対する不安感がないということは、空腹感を心地よく感じさせる上で非常に重要なことだ。

もし不食や断食に興味があるなら、不食に関する書籍を読んで「人は食べなくても生きていける」という確信を育ててからにしたほうがいい

 

食べないと幸せな気持ちになってくる

僕は不食実験を通して、とても幸せな時間を送れるようになった。

空腹を感じることで優しい気持ちになり、寛大な気持ちが膨らんでくるから不思議だ。

断食を続けたブッダが慈悲深い人であったというのは必然の結果だったと思う。

慈悲深い人が食べなかったのではない。

食べなかったから慈悲深くなったのだ。

 

不食は積極的にはオススメできない

幸せな気持ちを感じるためなら不食や断食を選ぶ必要はない。

幸せになるための方法は他にいくらでもある。

しかしかつての僕のように「食べないことで自分がどうなるのか?」という興味(呪い)から逃れられないのならやってみるしかないのかな、とも思う。

 

とはいえ10年前に大失敗しているだけに強くお勧めはできない。

食欲のコントロールは想像以上に難しい…。

 

不食のデメリット

不食の最大のデメリットは何か?

そう聞かれたら僕はこう答える。

不食を継続することで自分を取り巻く人間関係に悪影響があること

 

10年前同様、今回も奥さんにストレスが溜まりすぎた。

「自分は食べるのに、旦那は食べない」

これが大きなストレスになったようだ。

「このままでは家庭が崩壊する」

そう思ったから、今週からは夕食を一緒に食べるようになった。

 

普通の人にとっては食べないことは苦痛でしかない。

美味しい話は盛り上がるが、食べない話は盛り上がらない。むしろ盛り下がる。

普通の食生活を送る人の前ではあまり不食の話はしない方がいい。

 

不食と断食の違い

不食は究極のゲーム

不食という試みはとても面白いゲームだ。

「こうしてみたらどうだろう?」

「今自分の中の感覚はどうなってるかな?」

と考えたり観察したりしながら時間を過ごすことは楽しい。

 

不食は断食ではない

しかし、人によっては不食を修行だと思っているのではないかと思う。

しかめっ面しながら、我慢しながら不食を継続することは、不食という言葉を生み出した山田鷹夫さんの考えとはズレる。

 

断食は食べないことを「我慢する」

不食は食べない時間を「楽しむ」

我慢して食べない自分に気がついたら、この違いを思い出して欲しい。

そして食べる道を選択したほうがいいと僕は思う。

不食はいつだって始められる。

間違った道を歩いても行きたい場所へはたどりつけない。

 

今こそ不食・少食トークをしよう

もしあなたが不食や少食に挑戦したことがあったり、今まさにやっているのなら、その体験談を聞かせてほしいと思う。

同じ興味を持つ者同士の会話は楽しい。

レアな趣味であればあるほど楽しい。

 

僕は裸足ランニングという超マイナースポーツをやっているが、不食も同じか、それ以上のマイナーさだろう(笑)

 

不食・少食の世界でもそんな会話を楽しみたい。

不食でハッピーになろう!

 

不食・少食に興味が出たら、まずはコレ

日本の不食界のスーパースター3人による共著。とても読みやすい。

 

難病を断食で克服し、今では一日青汁一杯で生き続ける穏やかな女性、森さんの優しさが伝わる本。

 

個人的にはこの人の不食本がオモシロくて好き

僕を不食の世界に引き込んだ日本で最初の不食本。

 

山田さんのオモシロさ、冒険心がふんだんに盛り込まれた僕が一番好きな不食本。