死は親からの最後のギフト? – 人の死は一概に悪いことじゃないかもしれない

 

死にたいと思ったことはあるだろうか。

僕はない。

でも死んでしまったらどんなに楽だろうと思ったことはある。

「詳しすぎるプロフィール – 僕はこうしてアプリ開発者になった」でも書いたけど、新卒で入った会社を27歳でやめて、目標を失い、これから自分がどうやって生きていこうかまったく見えなくて、いろいろなことをやっては失敗していた29歳の頃、どんなバイトさえ人間関係がうまくいかなくて続かなくて、お金もなく、自分に自信が持てない時があった。

バイトがある時は、わずかな力を振り絞って笑顔で働き、帰ってきたら強烈な落ち込みがやってきて布団に入ったまま出られなかった。

休みの日も自分の今の境遇が情けなすぎて、布団から出ることができなかった。

家で寝ていても親からのプレッシャーを感じて、心は休まらなかった。

よく夜中に当てもなく歩いた

居場所がなかった。

お金もなかった。

その状況を打破できるアイデアもパワーも湧いてこなかった。

あの時が今までで唯一死んだらどんなに楽だろうと僕が思った瞬間だ。

でも死ぬなんて勇気は微塵も湧かなかった。

きっと自殺できる人はさらにその奥まで進んでいて、行き切った時、死ぬための猛烈なエネルギーが湧いてくるのだと思う。

そうじゃなきゃ自殺なんておっかないことできるわけない。

この時、自殺には勇気とエネルギーが必要だと知った。

 

今回はそんなわけで人の死について書いてみたいと思います。

この記事を書こうと思ったわけ

この記事のテーマは突然頭の中に湧いてきたわけではない。

きっかけはプロブロガーのカルロスさんのこのツイートだった。

https://twitter.com/crls1031/status/895414596516757504

これを読んでピンときた過去の思い出があった。

おばあちゃんたちの死だった。

そしてカルロスさんにこんなメンションを送った。

このツイートに反応する人が現れた。

https://twitter.com/chobi4451/status/895574723517534208

1日経って瞑想していたら、ふと思った。

このことについて書こうと。

人の死について書こう。

これがこの記事を書こうと思ったきっかけです。

親父のおばあちゃんの死

親父のおかあさん、ぼくのおばあちゃんが亡くなったのは、ぼくが社会人になったばかりの5月だった。

うつ病による自殺だった。

親父は泣いたりしなかった。

仕事を終えた夕方、親父から電話が入った。

「おばあちゃんが亡くなった。今すぐ来てくれ。」

はじめての親類の死だった。

 

車で田舎に向かった。

仕事でよく通ってるはずの高速道路の風景はいつもと違って見えた。

電灯がまぶしく、いつも以上に空が紫色に見えた。

病院に着いておばあちゃんと対面した。

ただ眠っているだけに見えた。

 

「触ってあげてくれ」

親父がそう言った。

 

頰に触ってみると、おばあちゃんはすでにもう冷たくなっていた。

 

淡々と葬式に向けて動き始めた。

葬祭業者が手際よくお葬式の準備を進める。

お通夜もお葬式もあっという間に終わった。

 

正直言うとなにも覚えていない。

ただおばあちゃんが死んだということが実感できなかった。

親父はずっと固まっていた。

火葬場での会食で親父は挨拶したが、いつも通り堅苦しい挨拶を多少ぎこちなくこなしただけで、いつもの親父と変わらなかった。

家族よりも先祖が大事

親父は不思議な価値観を持った人だった。

家族よりもご先祖様の方が大事だと言ってはばからない人だった。

家はもともと田舎の地主で、かつてはかなり裕福だったようだ。

戦後の農地改革で土地の多くを手放すこととなって、かなりの土地を失ってからは、小作人による収入はなくなり、おじいちゃんの収入で細々とやってきたようだが、親父が子供の頃はまだ多少の蓄えがあったようで、おぼっちゃまとして育ったのだと思う。

 

家には祭壇や氏神様とよばれる祠があり、それらの場所には毎日お供えをしていた。

 

お盆には立派な祭壇を作り、先祖をお迎えした。

 

お墓参りも大事なイベント、それほど先祖信仰のない僕からすると、ちょっとおかしいんじゃないかと思えるほど、お墓参りを家族ですることに固執した。

 

そんな親父がおばあちゃんの死を境に変わり始めた。

 

僕は子供の頃から「長男なんだから、跡取りなんだから」と繰り返し言われて過ごした。

正直ものすごく負担だった。

稼業があるわけでもないし、何をしたらいいのかよくわからないのに「ちゃんとしろ、ちゃんとしろ」と言われる。

 

とはいえ僕は素直な性格だから、親父の期待に応えられる息子になろうと思っていたんだけど、会社をやめてフラフラしてからは、とても親父の期待に応えられる自分ではなくて苦悩していた。

 

きっとおばあちゃんが生きていた頃だったら、どんなバイトも続かない僕にプレッシャーをかけ続けただろうと思う。

でもおばあちゃんが鬱で亡くなったから、必要以上のプレッシャーをかけても僕がよくなるわけじゃないとなんとなく分かったのか、それほどプレッシャーはかけてこなかった。

おばあちゃんの死から親父は緩やかに変わっていった。

おじいちゃんの死

親父がそれまでの価値観を捨てて劇的に変わったのはおじいちゃんの死からだった。

おじいちゃんはおばあちゃんの死後14年ほど生きた。

今の僕と同様であまり食事は取らず、ガリガリだったが、病気になることもなく、健康だった。

 

毎日タバコを2箱ほど吸っていた。

それでも80歳以上生きた。

 

おじいちゃんは会うとよく言っていた。

「早くおばあちゃんに会いたい」

でも健康だったからなかなかその願いは叶わなかった。

 

猫との二人暮らしだった。

その猫は25年生きた。

そしてついに亡くなり、おじいちゃんもその後を追うように亡くなった。

 

おじいちゃんが死んだ時も親父は変わらなかった。

おばあちゃんの時と同じように火葬場で淡々と挨拶した。

 

しかしここから親父は大きく変わり始めた。

「家族より先祖が大事」

そう言っていた親父が先祖代々受け継いで来た家を手放した

理由は僕。

おじいちゃんが死んでからも家のメンテナンスをずっと続けて来たが、金銭的な負担が大きかったらしい。

自分が生きている間はいい。

しかし自分が死んだ後、息子の僕に家を維持できるだろうか。

そう思ったらしい。

 

きっと息子には無理だ。

 

そう思った親父は家を売ることを決断した

 

親父はどんな思いであの大切な家を売ったのだろう。

どういう思いで家の中にあった多くの物品を処分したのだろう。

それを思うと少し胸が苦しくなる。

しかし、家を売った後の親父に後悔はなさそうだった。

自分で決めたこと。

息子のためにやったこと。

親父、ごめん。

そしてありがとう。

申し訳ない。

 

母親と姉の死によって劇的に変わった母親

親父の母親、おばあちゃんが死んだ後、親類の死が次々にやって来た

母親の姉である僕の叔母が死に、すぐにお母さんの母、おばあちゃんが死んだ。

 

あまりに続いたので葬式には慣れてしまった

 

最初に父方のおばあちゃんが死んだ時は「人は死ぬ」という事実に驚いた僕だが、こう次々に続くと、人の死というものは必ずやってくるものであり、当たり前のことなのだと思うようになっていた。

 

世間体

母親は人の目が気になって仕方ない人だった。

 

人にどう思われるか、世間がどう思うか、そればかりを気にして、自分がどう思うかを二の次にする人だった。

(過去形ですが、今でも生きてます)

人から受けたネガティブな経験もいつまでも引きずる人で、人から何か言われるたびに傷つき、落ち込み、よく寝込んでいた。

 

そんな母親だったから、僕とはよく衝突した。

母にとっては世間体がすべて。

そんな母にとっては有名大学に入るまでは僕は自慢の息子だった。

しかし大学卒業後、大企業ではなく、ベンチャー系の会社に入ったことは自分のステータスが下落するような感覚があったらしい。

「なんであんな誰も知らないような会社に…」

何度もそう言われた。

 

僕は大学を卒業してからは優等生になれなかった。

自分の気持ちを曲げてまで親の期待に沿うような生き方はできなかったし、そんな能力もなかった

 

僕は精一杯生きていたが、母親の求める息子像に沿うことはできなかった。

 

風変わりなことばかりする僕を見て、時には落ち込み、時には怒り出す。

実家に帰るとそんなことばかりで、結局言い合いになり、悲しい気持ちで実家を離れることが多かった。

多かったというより毎回そうだった。

 

呪縛

そんな母親が叔母とおばあちゃんの死後変わった。

 

僕の言うことにうなずくことが増えた。

「言ってることは分かるんだけどねー」

と言うことが増えた。

分かるけど、納得できない

それでも言動は大きく変わった。

 

表情も穏やかになり、どんなことにも集中できなかった母親が趣味を持つようになった。

編み物。

社交的であろうとして、いろんなコミュニティに入っては人間関係で傷つき、寝込んでばかりいた母親が輝き始めた。

小さいことであまりくよくよしなくなった。

 

本人の口からちゃんとは聞いてないが、母親や叔母への恨みのような言葉を吐いていたことがある。

きっと若い頃、いろいろなことがあったに違いない。

本当はそんな呪縛から逃れたかったのだろう。でも逃れられなかった。

 

二人の死はそんな呪いのような思いから母を解き放したように僕には見えた。

 

人の死は一概に悪いことではない

そんな一連の親類の死と、それによって変わっていく両親を見て、僕は「人の死は一概に悪いことではない。時に残された者にとってのギフトになる」、そう思うようになった。

 

残された者の生を輝かせる。

 

残された者たちが本当の自分に戻っていく。

 

人の死が死んだ本人にとっても周りにとっても悲しいことであることは間違いない。

別れはツラい。

でも別れは出会いの始まりなのだ。

本当の自分との出会い。

 

少なくと今の僕はそう思っている。

 

死んだらどんなに楽だろうと思っていた僕を救ったモノ

この記事の冒頭で僕は「死んだらどんなに楽だろうと思ったことがある」と述べた。

あの時はあてもなく実家の近くをさまよった。

近くにヴィレッジバンガードというちょっと変わった本屋さんがあった。

そこに当時の僕を救った本があった。

普段なら自己啓発系の本や世界旅行の本棚ばかり見ていた僕だったが、その時はあまりに無気力でただただうろついていた。

 

そんなとき、ある一冊の本が目に入った。

 

「屍体写真集」

SCENE―屍体写真集 戦慄の虐殺現場百態

 

導かれるままに手に取った。

 

一枚、また一枚とページをめくった。

無残に死んでいった人たちの写真が収められていた。

ページをめくる手が止められなかった。

そして奇妙にもどんどん癒されていく自分を感じていた。

 

そして最後のページを見終わり、本を置いた時、僕は少し気持ちが軽くなっていた。

僕はまだ死んじゃいない。

 

生きよう。

 

久しぶりに少し明るい気持ちで店をあとにした。

 

あとがき

今回はとても暗いテーマになってしまいました。

書いている間、身内のリアルな話を書いていることに対して「本当にいいのだろうか」という思いがよぎりました。

 

でも、今まさに「死んだらどんなに楽だろう」と思っているかつての自分と同じような人がいることは間違いない事実です。

 

生きようよ。

 

自然に死ぬ日が来るまで、せっかくの命を燃やし尽くそうよ。

 

僕はそう思うのです。

 

僕のどん底はずっとは続かなかった

きっとあなたのどん底もずっとは続かないはずだ。僕はそう思います。

きっと何かをきっかけにそのどん底をはい出すことがあると思うんです。

それがなんなのかは今はまったく分からないかもしれない。

でも驚くほど意外なきっかけで、そのどん底を抜け出すことができると僕は信じています。

 

今のどん底は自分で作り出したものであることは間違いありません。

何かきっかけがあって、その思い頭の中でひたすらグルグルしている。

本当はもうそんな思考なんてやめてしまいたいのにやめられない。

そんな状態なんじゃないでしょうか。

 

何かの拍子にそんな思いも嘘のように消えるかもしれません。

人生何があるか分からないんです。

 

希望を持てとは言わない。

むしろ希望なんて持たない方がいい。

希望を持つから苦しみが生まれるんです。

何かを求めるから苦しみが生まれるんです。

 

この記事がかつての自分に届きますように。

そう願っています。

 

おすすめの書籍

自分の信念を貫き人を殺した超天才の獄中手記。毎日獄中で殺した相手、そしてその遺族のことを思い、自分の信念が間違っていたと思い、恩赦を拒否し、償いのために生涯を獄中で過ごすことを決意した著者の思いが赤裸々に綴られています。人を殺すとはどういうことなのか、人の死とはなんなのか、普通に生きている僕たちのほとんどが生涯知り得ないことを教えてくれます。今回のテーマとは直結してないけど、ぜひ読んで見てもらいたい一冊です。

もうわかると思いますが、僕を救った本です。あれから一度も手に取ってないけど、感謝の気持ちでいっぱいです。発行した人はどんな思いでこの本を出版したんだろう。そんな思いが頭をよぎります。とにかく出版してくれてありがとうございました。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です