今この本を読み終わったんだですけど、嬉しさや楽しさや悲しみや感動がぐちゃぐちゃになっていてどう話出したらいいかわかりません。
デブッダ
ポチャナンダ
奥さんが亡くなって独居老人になった87才の父親との日々をつづったノンフィクションです。
ポチャナンダ
プロフィールを見るとこんなふうに書いてあります。
高橋秀実(たかはし・ひでみね)
1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組の制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。他の著書に『東京外国人裁判』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『はい、泳げません』『趣味はなんですか?』『男は邪魔!』『不明解日本語辞典』『パワースポットはここですね』『定年入門 イキイキしちゃダメですか?』『道徳教室 いい人じゃなきゃダメですか?』など。
ポチャナンダ
イカさん
デブッダ
こういう面白い本を書く人が認知症の父親の介護という難題にぶちあたり、その日々を小説新潮という月刊誌に連載していた作品なんです。
ポチャナンダ
最初の4分の1は笑いっぱなしでした。
お父さんとのやりとりがひたすらコントなんです。
その中の一つを引用させてもらうと、
調べてみると、(介護認定の)調査員が行っていたのは「長谷川式簡易知能評価スケール」に基づく診断法だった。他にも質問項目があるので、調査員が帰った後、私が質問してみることにした。
——100引く7は?
計算の問題。答えに対して「それからまた7を引くと?」と順に質問していく。最初の答えが不正解なら質問は打ち切るというルールだ。
「100引く7?」
父は驚いたような表情を浮かべた。
——そう、100引く7。
「100引く7って、こう、引くのか?」
綱引きのような仕草をして父はたずねた。
——そう引く。
「じかに?」
真剣な面持ちで父は私に訊いた。
——じかにって?
「だから、こう、じかに引いちゃうのか?」
力強く引く父。
——そう、じかに引く。
「いいのか?」
——いいのかって……。
「それでいいのかって訊いてるんだよ」
——いいです、っていうか引いてみてよ。
「じかに?」
——じかに。
「お前ね、じかにって簡単に言うけど、それは大変だぞ」
——大変なんですか?
かしこまってたずねると父はうなずき、 遠くを見つめて「そりゃ大変だ」と溜め息をついた。
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もしかすると引き算に無理があるのかもしれないので、私は「じゃあ100足す7は?」と質問を変えてみた。
「100足す7。わかるよ」
微笑む父。
——いくつ?
「 100足す7だろ。それはわかる。わかるけどそれをどこに持っていくんだ?」
——いや、 持っていかなくてもいいんだよ。
「お兄ちゃんはそう言ったって、そういうわけにはいかないだろう。 足されたほうの身にもなってみろよ」
こんなのが無数に本の中で出てくるんですよ。
ポチャナンダ
もうね、おじいちゃんの返事が変幻自在で「次はどんな返しでくるんだろう?」とドキドキするんです。
で、毎回予測不可能だから「うっそ!そうきたか!」とびっくりするし、脳内構造の柔軟さに感動さえしちゃうんですよね。
僕らでは絶対につなげる発想にならない点と点をいとも簡単につなげてしまう。
完全に天才の発想。
で、この著者のすごいところはその話を受け止めて「自分が間違っているのかな?」と思っちゃうところなんです。
それで「自分の方が間違っていて、父の方が合っているのかもしれない」という前提で哲学書を読み漁り出すんですね。
もともと大学時代に哲学に興味があったそうですが、
- ニーチェ
- ヘーゲル
- プラトン
- アリストテレス
- ソクラテス
- キルケゴール
- デカルト
ちんぷんかんぷんだったはずの哲学書が父親の話を前提に考えるとスーッと理解できるようになったそうなんですね。
ポチャナンダ
それで著者は哲学をこう結論づけるわけです。
哲学とは認知症対策だったのか
こうなってくると哲学者というのは自分のなかの認知症にいち早く気づいていて、それを分析した人たちなんじゃないか?と思えてくるし、そもそも僕ら人間は多かれ少なかれ認知症を持っていて、そのレベルが大きくなってくると認知症と言われるのではないか?と思ったりしました。
ポチャナンダ
あと思ったのは、「認知症ってもしかして3次元から4次元・5次元に移行していくプロセスなんじゃないか?」ということ。
以前こんな記事を書きました。
死後の世界がどうなっているのか知りたくて臨死体験の本などを読み漁っていたんですが、この本に出会って死後の世界がものすごくはっきりイメージできたんですね。
ポチャナンダ
一言でいえば5次元ってことです。
- 縦
- 横
- 奥行き
という3次元に
- 時間
- 空間
という2つの次元が加わったもの。
ポチャナンダ
僕のイメージでは
- 時間は流れるものではなく、自在に移動できるもの
- 空間も存在するものではなく、自在に変化し移動できるもの
という感じです。
だから著者の感覚では理解できない時間と空間の概念がおじいちゃんの中では成立している。
この感じをめちゃくちゃ分かりやすく文字で表現できているというのがこの本のすごいところだと思いました。
ポチャナンダ
赤ちゃんって生まれてきたときには5次元での体験も、過去生での体験も覚えていると言われていますよね。
でも表現手段がありません。
言葉を覚えたころに話始める子供もいるそうですが、親が過去生の概念を信じてないとまともに聞いてくれません。
その結果過去生について話さなくなり、過去生の記憶を完全に失っていく。
8才ごろには完全に消失するケースがほとんどであるとこの本には書いてあります。
それと逆行するように認知症が進むとどんどん5次元の世界に移行していくんじゃないかと思いました。
だから3次元の世界で生きている人にとっては不可解なことも、5次元の世界では当たり前のなのかもしれません。
5次元を前提として認知症の人と接してれば発見多き実りある時間になるのではないでしょうか。
ポチャナンダ
最初はひたすら笑えるエピソードが出てきますけど、30%くらい進むと様子が変化していきます。
- 笑えるほのぼのした感じばかりではない面がある
- 仕事がまったくできなくて経済的な不安を抱えていたこと
- 奥さんまかせで家事をやってこなかったために自立できてないことが認知症を加速させている一面
- 甘やかせず自立を促すことが案外効果的だった話
- 糞便を垂れ流し始めてからのエピソード
- 些細なことで怒り出す父に困り果てるエピソード
- 徘徊してしまうために介護サービスが受けづらくなる現実
など、認知症関連の本として書いておいてほしいことはしっかり書いてあります。
この本のいいところはこれが専門家によって書かれたものでないこと。
専門家だとポジショントークをしなければいけませんし、他の専門家の話を多用することも少ないでしょう。
建前を優先してしまうので、本音を書くというのも難しいはず。
でもこの本の著者はそういう縛りを受けていません。
バンバン本音が書ける。
それでいて文章を書く素人ではないから非常に分かりやすいし、取材をメインの生業にしているから必要な情報をかき集めて分析することにも長けている。
認知症に興味がでてきたら最初に読む本としてうってつけだなと思いました。
ポチャナンダ
本の最後には436日間を濃密に過ごしたお父さんとの別れがくるんですが、そのプロセス、エピソードがジーンと来るんですよ。
生きるってなんだ?
死ぬってなんだ?
幸せってなんだ?
僕が常々考え続けている問題に新たな素材を提供してくれました。
読んだ後「出会えてよかった!」と心から思えました。
高橋さん、書いてくださってありがとうございます。
デブッダ
著者の高橋さんの感覚は自分に近いものを感じたので、しばらくは高橋さんの本を読みまくってみようと思います。
社会の常識を斜めから見てみる。
斜めから見てみるけど決して批判的な目ではなく、優しい目で見る。
そういう姿勢が大好きです。
じゃ今日はここまで。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
イカさん
[…] 笑って泣いて感動する!認知症介護の現実を楽しく学べる本を見つけた! […]