公園近くで草履を脱ぎ、アスファルトの道路に裸足で踏み出したが、アスファルトが人間にとって如何に不自然かを実感。公園の入り口の点字ブロックが、ちょうど踵の骨の真ん中に当たり、軽い打撲のような感じを受け、普段いかに無神経に歩いて来たかに愕然とする。
— 甲野善紀 (@shouseikan) August 6, 2017
驚くべきことに、裸足の聖人・manさんのブログを読んだ古武術研究家・甲野善紀さんが、昨日、裸足での一歩を踏み出した。
甲野さんは古武術研究家という仕事でありながら、バスケットボール・野球などの多くのスポーツだけでなく、音楽、介護といったあらゆるジャンルの世界を変えている人である。
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裸足で走ったり歩いたりしていると言うと
「ケガしないんですか?」
「ガラスとか踏んだら切るんじゃないですか?」
とよく聞かれる。
半分はノーで、半分はイエスだ。
今までガラスで足の裏を切ったことは一度もない。
しかしケガをしたことはある。
裸足ランニングとケガの関係はあんがい今まで語られてこなかったように思う。
あくまで僕の経験でしかないが、裸足のリアルということで皆さんにお伝えしたい。
内出血
以前、僕が裸足で走り始めた時のことを記事で書いた。
この記事に詳しく書いてあるが、横浜のみなとみらいで裸足になった僕は、スムーズに痛みを感じることなく裸足デビューを果たした。
みなとみらいの海沿いにつづく公園は綺麗に整備されているため、小石などの突起物も少なく、歩いても走っても痛みを感じることはなかった。
しかし、走り始めると足の裏には巨大な内出血が生じていた。
足の表面は摩擦や衝撃に耐えられても、内部は長年のシューズや靴下の習慣によって弱りきっており、耐えることができなかったのだと思う。
足の裏が成長しているプロセスは驚くほどのスピードで変化が面白くて仕方がない。
一番変わっていくのは表面ではなく足の裏の内部なのだ。
表面は意外とガチガチに硬くはならない。
普通の人よりも少し硬いくらいだ。
1回目のケガ – 点字ブロック
裸足で走りはじめてから数ヶ月たったころ、裸足で走ることにも慣れ、それどころかシューズを履いていた頃よりも早く気持ちよく走れるようになっていた。
カラダ全体で衝撃を吸収する走りもカラダが学習し、僕は自信を持った。
走りながら恍惚の表情を浮かべてきた。
気持ちいい!
この心地よさがアダとなった。
油断した。
ちょっとした石を踏んでもカラダが瞬間的に反応し、衝撃を足の裏内部に到達させない反射神経が育っていたので、路面を確認しながら走る必要もなく、下を向かず、海を見ながら走れるようになっていた。
そんなある日、みなとみらいの象の鼻パークから大桟橋を一周し、山下公園に向かう歩道の上で事故は起こった。
点字ブロック。
目の見えない人の補助のために道路に添えつけられた黄色いあれだ。

走っていると目の前に点字ブロックが見えた。
たいした障害物に見えなかった。
「まぁ問題ないだろう」と思って、普通に踏み込んだ。
足の裏に激痛が走った。
打ち所が悪かった。
当時まだ、足の裏の中指の付け根のあたりに強度が足りていなかった。
骨が少し出っ張った部分があって、そこに強打してしまったのだ。
そのあとは全く走れなくなった。
走ることは断念し、トボトボと家まで10キロほどの道を歩いて帰った。
ケガは長引き、その後も何度か走ろうと試みたが、打撲が痛くて走れない。
結局完治まで3ヶ月を要した。
せっかく強くなってきていた足の裏もまた弱くなっていた。
これが1回目のケガである。
2回目のケガ – 木の根っこ
4年前の秋、裸足で走り始めてから、奥さんが妊娠し、出産、そして育児に追われる日々が続き、2年ほど裸足から遠ざかっていた。
その間、裸足への思いは持ち続けていたが、なんとなく裸足で外へ出ることはなかった。
ふたたび裸足で走り始めたのは去年の秋だった。
やっぱり気持ちよかった。
こころが開く。
ドン底から救ってくれた裸足
その頃、精神的には本当に病んでいた。
1年半かけて、それまでに稼いだお金をすべてつぎこんで、友人4人で作ったゲームアプリが思うように伸びず、サービス終了した。
一時はカジュアルゲームでうまくいき、ずっとずっと貧乏だった14年に終止符が打てると思っていただけにショックだった。
勝手にうまくいくと思い込み、これから始まる金銭的な自由な世界で地球を歩き回ろうと思い描いていた。
そんな希望は泡のように消えた。
そんな人生2回目のドン底から裸足が救ってくれた。
裸足で走ることで頭の中のモヤモヤは霧散し、からだにこころは戻っていった。
走っているうちに他の裸足ランナーに会ってみたいと思うようになった。
裸足コミュニティーとの出会い
ググってみたが、裸足ランニングの世界はあまり開かれてなかった。
ほとんどミートアップの情報がない。
唯一あったのは、地域ごとに存在するらしい裸足ランニングクラブの情報であったが、決して活発な感じではなかった。
とはいえ、とりあえずそれしか情報がない。
品川で練習会があるという情報があったので、それに申し込んだ。
当日になった。
たった6・7人のグループによる本当に小さな練習会だったが、気持ちのよい人たちばかりだった。
すこし人間不信気味だった僕のこころに光がさした。
練習会が終わり、ランニングステーションで着替えている時、一緒に参加した人の1人が、facebookに裸足ランニングの非公開グループがあること、皇居で定期的に練習会が開かれていること、6月に開かれるかすみがうらマラソンに日本中の裸足ランナーが集結すること、埼玉県の飯能では裸足ランナー限定のトレイルラン大会があることを教えてくれた。
まずはfacebookグループに参加申請し、近日開かれるという皇居での練習会に参加表明した。
参加してみると、今度は15名ほどの参加者がいた。
みんな素敵な人たちばかりだった。
会う人会う人が素敵だった。
それまで僕が出会ってきたコミュニティーには多かれ少なかれ、クセのある人がいて、コミュニティーの心の循環が滞ることが多かった。
それだけに感動した。
世界は素晴らしい!
こんな世界もあるんだ!
(iOSアプリ開発の世界もかなり愛のある世界で、シリコンバレーから流れてくるハッカー文化の優しさに感動したことがあることは付け加えておきたい。ぼくは彼らを「幸せプログラマー」と呼んでいる)
初マラソンを裸足で完走
彼らの優しいエネルギーに導かれ、僕はその後も裸足で走り続けた。
そして今年の6月にはかすみがうらマラソンで初マラソンを裸足で走りきり、マラソンデビューも果たした。
とんでもなく自信がついた。
裸足でマラソンだって走れる。
それからしばらくはエネルギーに包まれていた。
なんだってできると思った。
裸足ランニング・アジア選手権 in 飯能
かすみがうらマラソンの後、山の中も裸足で走り始めた。
裸足ランニング愛好者にはトレイルランニングの愛好者が多くて、山を走る魅力について聞いていたから、僕もやってみたいと思ったのだ。
山の魅力は素晴らしかった。
起伏に富んだ場所で自然を楽しみながら走る。
アスファルトの平坦な路面では感じることのできない新しい開放感があった。
山で走り始めてすぐに飯能の大会に参加した。
裸足ランナーのユートピアだった。
笑顔に溢れ、スタート地点ではアフリカ音楽が奏でられ、ケニアからは招待選手や報道関係者が来ていた。
僕はその大会の10キロ部門に参加した。
20キロ部門はアジア選手権大会となっているが、エントリーできるのはその大会で10キロ完走の実績が必要だったので、今回はエントリーできなかった。
最高に気持ちの良い山道だった。
走りやすいのもあるが、すれ違う他のランナーとの声の掛け合いが楽しかった。
砂利道を走る時にはみんな痛がっているが、そんな姿に笑みがこぼれ、逆に痛みを楽しむ気持ちさえ生まれた。
僕はまったく痛みを感じることなく走り続けた。
気持ちいい!気持ちいい!気持ちいい!
しかし、そんな恍惚感が僕を油断させた。
こんなに痛くないならいつも通り走ればいい。
いつもアスファルトを走る時と同じように景色を楽しみながら走ってしまった。
山はあまくない
5キロの地点を心地よく走っていたら突然激痛が走った。
!!!
完全に止まった。
しばらく動けない。
やってしまった…。
少したったら痛みは和らいできたが、走りを再開したら、もう同じような走りはできなかった。
結局痛みをこらえながら10キロを完走し、充実感でいっぱいではあったが、その後しばらくは走れなかった。
この時もやはり完全回復まで3週間ほどかかった。
走れない日々はツラかった。
この頃のぼくを支えてくれていたのは裸足だったから。
これが2回目のケガ。
それからは山はあまく見ちゃいけないと思うようになった。
トレイルを裸足で走る経験の長い人たちは言う。
続けているうちに神経が研ぎ澄まされるようになる。
そうすれば、足元を意識しなくても視覚が勝手に危険を察知してくれるようになると。
ぼくはまだその段階ではない。
その段階が来るまでは経験を積み重ねていくしかない。
今はそう思っている。
最後に
いかがだったでしょうか。
これがぼくの裸足でのケガです。
まだ裸足で走ったり、歩いたりしたことのない人にとっては、想像していたのとは違うケガのしかただったのではないでしょうか。
ガラスや小石といったものは、それほど問題になりません。
最初は気をつけなければいけませんが、気をつけていればまったく問題ないと思います。
僕は経験しませんでしたが、シューズを履くことでからだに染み付いてしまっている衝撃吸収してくれない体の使い方で膝や腰を痛めることのほうが危険かもしれません。
でも、裸足になることで自然とからだは学んでいきます。
からだの声に耳をすませる。
それだけ忘れなければ、裸足になることで得られることは途方もなく大きいです。
もしあなたが日常の中で何かに悩んでいるなら、ぜひシューズを脱いでみてもらいたい。
クヨクヨするクセも、考えすぎるクセも吹き飛ばしてくれるに違いありませんよ!
世界のランニングシーンを、ランニングシューズの常識を根本から変えた一冊。
裸足にとどまらず、多くのトピックを取り上げている。自分のカラダのポテンシャルを実感したいすべての人に。
BORN TO RUNの最初の方で出てくるブロンコ、走る民族・タラマウラ族に「白い馬」と尊敬の念を込めて呼ばれた孤高のランナーのどこまでも純粋な生きざま。ぜひ読んでみてもらいたい一冊。
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