【アプリ開発5年の物語】現状を嘆く必要はない。変化は劇的に起こる

 

イカ太郎

こんにちは、イカ太郎です

 

今、何かにチャレンジしてますか?

僕は今、ブロガーとして食っていく道を模索中です。

去年の7月からはじめてもうすぐ半年。

まだ全然稼げてません。

 

先月のブログ収益はギリギリ1000円いきました。

広告収益が668円。

amazon商品の紹介による収益が378円。

合計1046円。

ギリギリ経費のサーバー代がカバーできるレベル。

 

6年間やってきたアプリ開発からの収入が月に3万円くらいありますが、まだ家賃も払えないような状況で生活しています。

このままいくと数ヶ月で貯金を食いつぶして、奥さん子供もろとも路頭に…

という状況なんですが、案外心配してしていません。

 

というのも、6年前アプリ開発を始めたときも同じような感じだったからです。

今よりよっぽどヤバかった。

アプリからの収益は2年近くほとんどありませんでした。

1番多い月で3万円くらい。

 

でも不思議なもので、続けていると思いもしないようなことが起こりました。

そして状況が劇的に良くなったのです。

 

結局最後は大勝負をかけて、貯めたお金を全部溶かしてしまい、スッテンテンになってしまいましたが、アプリ開発を通じて経験してきたことは今の僕を支えています。

「今は全然ダメだけど、どうせまた思いもしないようなことが起こって状況は劇的に変わる。だから大丈夫」

そんな風に思っているのです。

確信に近い感覚。

 

2年近く貧乏アプリ開発者をし、ヒット作を出したあとも収益を受け取らず、結局最後は貯めたお金を溶かしちゃって、ずっと金銭的に余裕のない暮らしだったけど、僕は大きな財産を手に入れました。

楽観的でいられる心

「大丈夫、きっと何とかなる」という根拠のない安心感です。

 

今回はかなり長編になりますが、僕のアプリ開発者として過ごした6年間をストーリーとしてまとめてみました。

今なにかに挑戦していて、先が見えなくて不安に思っている人に、少しだけでも勇気を与えることができたら嬉しく思います。

 

 

個人アプリ開発では全然稼げなかった

職業訓練でプログラミングを学ぶ

僕は東関東大震災後、職業訓練でアプリ開発を学び始めました。

ところが訓練校が途中で閉鎖され、プログラミングのほんの触りの部分しかわからない状態で学ぶ場所を失います。

震災で外国人が日本国外へ脱出してしまったことで2つ掛け持ちでやっていたアルバイトも失業。

バイトができるメドもありませんでした。

 

1本目のアプリ

職業訓練校は閉鎖されましたが、アプリを作ること以外に未来への希望はありませんでした。

途方にくれたけど、「この道を行くしかないのだ」と思い直し、一人で学び始めます。

独学で四苦八苦しつつも最初のアプリをリリース。

日本語を学ぶアプリでした。

 

このアプリは米軍基地内でやっていたボランティア日本語教室の教材用として作ったものでした。

クラスにあった大型テレビにアプリの画面を表示し、作ったアプリをレッスンで使用しました。

使ってみて不都合のあったところは次の週までに修正し、また試す。

自作したアプリを使うクラスなんて珍しかったから、参加してくれていたアメリカ人たちに面白がられました。

 

自分でアプリを作れるようになり、使ってくれる人ができたことはうれしかったですが、アプリで稼ぐ道はまったく見えませんでした。

 

2本目のアプリがヒット

日本語を学ぶアプリを作ったものの、ほかに作りたいものはありませんでした。

そんなある日、職業訓練の仲間から面白いアプリ開発合宿があることを聞きます。

岐阜県の大垣という田舎町に1ヶ月こもってアプリ開発を学ぶコース。

 

参加費を払うお金の余裕がなかったけど、どうしても行きたかった。

恥ずかしいことだと思ったけど、親父にお願いしてお金を出してもらいました。

35歳にもなって親のスネをかじる。

そんな自分が情けなかったです。

 

その合宿ではシンプルなアプリをたくさん作りました。

が、すでにできているプログラムをひたすらコピペするだけのコースで、アプリ開発の基礎が分かっていない僕にはチンプンカンプンでした。

親父に出してもらったお金を無駄にしてしまったのではないかと思って落ち込みました。

 

しかしそんなある時、シンプルなゲームを作る講座がありました。

それまでは講座の内容は理解不能だったのですが、その講座の内容は理解できたのです。

「これならやれる!」

そう思いました。

 

そして2本目のアプリを作りました。

職業訓練で一緒だった仲間に新たにアプリを作ったことを報告し、彼らがダウンロードできるようにしました。

そして1ヶ月の合宿は終了。

 

横浜の自宅に戻っても、僕の日常はあまり変わりませんでした。

変わったことといえば、バイトの依頼が入るようになってきたことくらい。

震災から1年近くが経過して、ホテルに外国人客が戻ってきていたのです。

 

バイトをしながら過ごしていたある日、職業訓練の仲間から連絡がありました。

「あの色のアプリやってみたんだけどね、あれをやったら過呼吸が収まったの。

 

この間ペットの犬が死んじゃって、それから過呼吸がひどくなってたんだけど、あのアプリをやると治るの。

 

作ってくれてありがとね」

すごく嬉しかった。

自分の作ったものが人の役に立ったから。

 

報告を聞いた僕は、そのアプリを呼吸を落ち着かせる専用アプリにしようと思いました。

そしてできたのがこのアプリでした。

イロ呼吸 ~深呼吸でストレスを軽くする魔法のアプリ~
ヘルスケア/フィットネス¥120iOSユニバーサル

 

ダウンロードは期待していませんでした。

「どうせ前に作った日本語アプリと同じように、1日数本しかダウンロードされないだろう」

そう思ってました。

ところが、、、

 

リリースして数日たったある日、ものすごい量のダウンロードが記録されていました。

数百という数だったと記憶しています。

自分の目を疑いました。

「何が起こっているのだ!?」と。

分かったのはAppBankの記事としてフィーチャーされたということでした。

 

6年前はまだ今みたいに企業がアプリを作るような時代ではなく、スマートフォンの黎明期。

個人や小さなチームがアプリを作っていた時代で、アプリ紹介メディアもほとんどありませんでした。

 

そんな中でAppBankというアプリ紹介メディアは圧倒的な存在でした。

そんなAppBankに僕の作ったアプリが紹介されたのです。

 

ダウンロードの勢いは止まらず、イロ呼吸は健康アプリランキングを駆け上がりました。

アプリの全体ランキングでトップ200にも顔を出し始め、最終的には健康アプリ6位、アプリ全体127位までいきました。

「こんなことが起こるんだ…」

と信じられないような思いで毎日ドキドキしていたことを覚えています。

 

収益化の方法が分からない

たくさんの人にダウンロードしてもらいましたが、お金にする手段が分かりませんでした。

 

とりあえずバナー広告を載せてみました。

画面の下に横たわってる細長い広告。

 

ところが癒しアプリに向いてなかった。

深呼吸をしながら癒されたいのに、広告が表示されていたら呼吸に集中できない。

レビューに「広告がウザい」と書かれまくりました。

失敗。

 

次は有料にしてみました。

100円。

ダウンロードが極端に落ちました。

買ってまで使いたい人はいなかった。

失敗。

 

「目立てばいいのかも」と思ってタイトルを変えてみました。

「ムラっとしたらイロ呼吸」というタイトルにした。

するとレビューが炎上

それまで愛用してくれていた人たちが烈火のごとく怒りました。

 

「大好きなアプリだったから人に紹介したら、アプリ名があんなふざけた名前になっていた!恥をかいた!許せない!」

というレビューが一番印象的でした。

僕のツイッターアカウントを見つけてきて、僕のツイートをレビューで挙げ連ね、「こんなふざけたやつが作ってるアプリです」とさらされました。

一度築いた信用が失墜していくプロセスは恐怖でした。

気に入ってくれていたユーザーを裏切る行為がどういう結果をもたらすか思い知りました。

このときの炎上の話はこちらでまとめたので興味があったら見てみてください。

自分で作ったアプリを炎上させてしまったからこそ分かったユーザーの心理

 

結局僕はこのアプリで全然稼ぐことができませんでした。

一番稼いだ月で3万円くらいだったと思います。

Appbank掲載による騒動が過ぎ去ったあとは、月に数千円という収益で落ち着きました。

 

5ヶ月間の軍隊(のような)生活

その後も食えない日々が続きます。

でもホテルのバイトはできたから、最低限の収入はありました。

10万円くらいバイトで稼いで、残りの時間はイロ呼吸のアップデートに費やす。

そんな日々でした。

 

そんなある時、岐阜のアプリ合宿でお世話になった会社の社長から連絡がありました。

「岐阜で半年間、好きなゲームを作ってみないか?」というお話でした。

話を聞いてみると、岐阜県は県の政策として「岐阜をアプリ開発の聖地にする」という方針を打ち出していて、開発者を育てるため、岐阜でアプリ開発をする企業を支援するとのことでした。

1人雇えば県から補助金が出る

そのうちの一部を給料として支払うという仕組み。

社長は参加者を募ってスタートしたのだけど、参加者は全員素人。

なので、すでにゲームアプリを作れる人が欲しかったのです。

「給料も払うし、好きなアプリを作ってくれればいい」ということだったので、こんないい話はないと思って飛びつきました。

これで生活費の心配をせずにアプリ作りができる!

 

岐阜での生活は軍隊生活のようでした。

恐ろしくスパルタな方針で、寝る以外のすべての時間をゲーム開発に充てました。

いわゆるウルトラブラック企業です。

社員寮から職場まで歩いて1分。

週7日・15時間勤務。

でもお金をもらいながらアプリ開発ができるなんて幸せなこと。

とんでもない状況ではあったけど、僕らは夢中でゲーム開発を学び、作りました。

 

ど田舎だからお金を消費するような場所もない。

約10人の仲間たちと兄弟のような感覚で5ヶ月を過ごしました。

僕は2本のゲームをリリースし、今でも関係の続くかけがいのない仲間も手に入れました。

その時作ったアプリは今はもうAppストアにないけど、僕が全力で作ったアプリです。

プログラミングもグラフィックスも全て僕がやりました。

今でも「あのアプリ最高に面白かったよね!」と言ってもらえるので、メディアが書いてくれたレビュー記事を見てもらえると嬉しいです。

→ オヤジラン

→ よっぱらいチキンレーサー

 

始めてのコンビ制作

岐阜で5ヶ月を過ごしたのち、再び横浜に戻りました。

岐阜の仲間の1人が住む場所がなかったので、彼女と同棲していた部屋にしばらく居候させました。

彼は本当に金がなかった。

収入の多くを離婚した奥さんに養育費として払っていたから。

しかしものすごく人に愛されるやつで、結局岐阜の仲間が安いアパートを借りてくれて、そこに引っ越していきました。

 

そんなある夏の日、事件が起こります。

僕はアプリ開発を始めてからずっと横浜西口にあるコワーキングスペース・タネマキというところで作業をしていました。

家庭的な雰囲気のコワーキングスペース。

男ばっかりだから、家庭というより部活みたいなのだけど、そこにくるメンバーとは兄弟のような感覚で付き合っていました。

そのコワーキングスペースでは、新しい棚を作るとか、床全面にワックスを塗るとか、改修があるたびにみんな集まって手伝っていたのです。

そんな店内の改修イベントがあったある暑い日にその事件は起こります。

 

暑いから休憩の時に「みんなでアイスを食おう」ということになり、近くのスーパーまで買いに行きました。

当時ミニクルーザーという小さなスケボーが流行っていました。

 

乗ってみたかったのでこれを借りて出かけました。

暑い日だったけど、風が気持ちよかった。

近くに10メートルくらいの坂道がありました。

シャーッと下ってみた。

意外と大丈夫でした。

 

スーパーで箱入りのアイスを2つ買い、来た道を戻りました。

同じ坂がありました。

シャーッと下りました。

片手に持っていた2箱のアイスの入った袋のせいで、全然バランスが取れませんでした。

坂の途中でグラグラと蛇行し始め、そして転倒。

 

右肩から地面に叩きつけられました。

地面に落ちた瞬間、肩がグチャ!って音を立てた。

しばらく全く動けませんでした。

脱臼であって欲しいと願いました。

 

ようやく立ち上がり、肩の場所を確認。

右肩があるべき場所に肩がありませんでした。

10センチ以上に下に肩があった。

ブラブラした右肩が落ちないように支えながらよろよろ歩き、近くの花壇に座ります。

 

仲間が座り込んでいる僕を発見し、救急車を呼んでくれました。

救急センターに運ばれた僕を見て、先生がこう言いいました。

「こりゃダメだわ」

「痛いでしょ?」

 

「ふざけんな!」と思ったけど、めちゃくちゃ痛くて声にならない。

そして先生はさらに言いました。

「おーい、みんなー、これ見に来ーい!」

 

救急センターにいた5人ほどのインターンの医者がゾロゾロやってきます。

僕の骨折の状況を説明する先生とインターンたち。

彼らを見ながらこう思いました。

「こんな状況で何やってんだ?こいつら…」

 

説明が終わり、手術が必要だと先生が僕に伝えました。

「なにか質問ある?」

僕は唯一気になることを質問しました。

「僕、お金ないから手術代払えないかもしれないです」

 

結局手術しないわけにはいかないから手術に。

手術後、僕は入院。

信じられないことに、一泊35000円もする個室が僕の部屋としてあてがわれました。

横浜の海を一望できるオーシャンビューの部屋。

 

「個室料金は払わなくていいようにしておいたよ」

あの先生は笑顔でそう言いました。

 

結局手術料と入院費の請求は30万円くらい。

払える額じゃだったのだけど、友達が国民健康保険の高額医療保証制度というものを教えてくれて、8万円くらいで済みました。

高額医療保証制度というのは、一回の医療費にかかる金額の上限を設定している制度

一定以上の医療費は免除されます。

収入が少なければ少ないほど上限額は低くなるのです。

本当に助かりました。

「お金がなくて医療費が払えないかもしれない…」と思ったらこの制度があることを思い出すといいですよ。

 

本当は1週間以上入院が必要だと言われていたのだけど、先生に無理を言って3日で退院させてもらいました。

うちに居候していた仲間と2人でゲームを作っていたから。

彼はもともとゲーム制作のプロで、ガラケー時代多くのヒット作を作っていた人でした。

彼が企画と音楽を担当し、僕がプログラミングとイラストを担当していました。

 

2人でやっていたから僕の代わりはいません。

やらないわけにいきません。

あいつは「この先どうなるのだろう」と不安に思いながら待っていてくれている。

「退院させてください」

 

右腕は固定されていたけれど、なんとかキーボードを打つことはできました。

もうホテルのバイトはできない。

アプリで稼がなければどうにもならなくなる。

本気度が何倍にもなりました。

ケツに火がついたのです。

 

そうして夏の間、彼の住んでいた安アパートで汗をダラダラ流しながら一緒にゲームを作り、3ヶ月かけてリリースしました。

サザエさんをモチーフにしたゲーム、「野球やろうぜ!!!」でした。

野球やろうぜ!!!
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シンプルだけど、ものすごくやり込み要素のあるゲームになりました。

ゲームにのめりこんでいくと、ちょっとした小ネタにも遭遇する。

その小ネタを発見した時の喜びが大きく、人に言いたくて仕方がなくなるゲームでした。

 

このゲームはあれから3年半経った今でもけっこう人気があって、特に甲子園の時期になると沢山ダウンロードされます。

広告収入もずっとあって、全然稼げてない今の僕の心の支えになっています。

このゲームは僕が今まで作ってきたゲームの中で最高傑作だと言っていいと思います。

野球をやらない僕の妹と旦那さんがメチャクチャハマり、3歳と5歳の姪っ子もハマっていたくらいだから、好きな人はかなりハマると思います。

ぜひやってみて欲しいです。

野球やろうぜ!!!
ゲーム, スポーツ, ファミリー, エンターテインメント無料iOSユニバーサル

 

野球やろうぜ!!!を作ったあと、相方だった岐阜の仲間はゲーム会社に就職しました。

今では立派なゲームディレクター。

彼と一緒に一生懸命ゲームを作ったあの夏のことは僕はずっと忘れないと思います。

人と一緒にアプリを作ることの喜びを心の底から感じた初めての経験でした。

 

ゲーム開発で食えるようになる

昼メシを食えない2人

野球やろうぜ!!!はそれなりに収入があったけど、生活費をまかなうような収入ではありませんでした。

収入の問題は解決しないまま、僕は片腕を骨折した、ひとりの個人開発者に戻りました。

 

骨折した鎖骨がなかなかくっつかない。

鎖骨というのはもっとも骨折しやすい骨と言われるけど、腕に近い末端はなかなかくっつかない場所なのだとか。

結局金属を外す手術をするまで半年が経過。

先生も確信がないまま手術を決行。

ラッキーなことに骨はくっついていました。

「運がよかったね」

先生が言いました。

なかなか稼げないアプリ開発者だったけど、僕はラッキーな男でした。

 

骨折は治ったものの、これといってやることのなかった僕は、再びイロ呼吸のアップデートをする日々に戻ります。

収入がなかったので、コワーキングスペースの利用料と家賃の半分を払うことで精一杯でした。

家賃の半分と食費は同棲していた彼女が払ってくれていました。

ヒモのような生活でした。

 

その頃の生活で苦しかったのは、コワーキングスペースのみんなとお昼ご飯に行けないことでした。

ランチの時間はみんなでワイワイ話せるとてもたのしい時間だったのだけど、アルバイトさえできない僕には叶わなかったのです。

 

そんなランチタイムにもうひとり、食事に行かずコワーキングスペースで黙々と作業している若者がいました。

20代後半のイケメンで、菓子パンを少しずつかじりながら朝から晩まで作業をしてるやつ。

周りとはあまりコミュニケーションを取らないやつでした。

決して愛想がないわけではないのだけど、とにかくひたすらパソコンに向かってる。

毎日毎日彼と2人で、誰もいないコワーキングスペースの中でお昼の時間を過ごしていました。

 

彼の噂が入ってきます。

「どうやら個人でウェブサービスを作っているらしい」

「しかも相当なアクセス数を稼いでいるらしい」

「でも敢えて収益化はせず、ヒットさせることに集中させているらしい」

「よく分からないけど、とにかくすごい奴らしい」

 

ある時、彼と話す機会がありました。

僕は自己紹介しました。

アプリを作っていて、ゲーム開発をやっていると。

「もしよかったら一緒にゲーム作ろうぜ!一緒に作ると楽しいよ!作り方も教えるよ!」

挨拶的な気分でかけたこの一言が、その後の僕の3年間を決定します。

 

「イカさん、アプリ作りたいです」

ある日突然彼が近づいてきてそう言いました。

やることのない僕は二つ返事で了承しました。

「いいよ!やろう!」

 

その後は怒涛の日々でした。

まずは彼にゲームのプログラミングを教えました。

ものすごい理解の早いやつで、少し教えただけであっという間に作れるようになってしまいました。

そしてシンプルなゲームが完成。

やってみたらめちゃくちゃ面白かった。

「ゲームは何も装飾してない状態で面白ければ、あとは装飾すればするほど面白くなります」

 

その後はひたすらそのゲームをブラッシュアップ。

より気持ちよくするために磨いて磨いて磨きまくる。

そうしてできたのが「精子vs卵子 – 肉食系卵子の逆襲」というゲームでした。

 

リリース後のインパクトはイロ呼吸の比じゃありませんでした。

ツイッターでバズりまくり、中高生男子の間で大人気に。

ランキングも駆け上がり、アクションゲームランキング1位、ゲームランキング6位、アプリ総合ランキングで10位という快挙を成し遂げました。

「すげー!こんなことが起こるのか!」

鳥肌が立ちました。

信じられないような思いで、ランキング上位に表示された自分たちのアプリを見ていたのを覚えています。

 

幸せな時間、そして、、

その後の1年はアプリ開発者として最高に幸せな時間でした。

「泣ける育成ゲーム – 小学生あるある」というゲームがヒットし、有名なアプリメディアにも取材を受けました。

泣ける育成ゲーム 「小学生あるある」
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関連:ブースト広告費も大きく回収、1,000万円稼いだ放置系アプリ「小学生あるある」の裏側

 

その後出したアプリもヒット。

代表的なのはこの2本。

人類滅亡ごっこ
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消しゴムバトル
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コワーキングスペース仲間をデザイナーとして迎えて、3人で楽しくアプリを作りました。

 

しかし、、

1年経って僕は少し疲れてきました。

ゲームを作るのは楽しかったけど、もともとゲームなどほとんどやらずに育ったから、ゲーム自体にはそれほど興味がなかった。

相方の徹底的にクオリティを追求する姿勢にも疲れていました。

いいものは作りたい。

でも彼のものすごい意欲をひとりで受け止めるほどプログラマーとしての技量もありませんでした。

プログラミングスピードが遅い。

 

疲れた僕はある日、彼にこう言いました。

「チームを解散したい」

今解散すればそれなりにお金もあるし、次の道を模索できる。

 

相方の彼はガックリした表情を浮かべました。

「次の作品で全てを賭けようと思ってたのに…」

その姿を見て、心が揺れました。

全てを賭ける

昭和生まれで暑苦しい性格の僕はそういう言葉に弱い。

「わかった。次の作品を作ろう!次の作品を最後の集大成にする!」

 

大勝負

その作品にはそれまで作って稼いだお金を全てつぎ込みました。

それでも足りなかったので、融資も受けました。

融資を受けるため、会社も作りました。

彼が代表で僕は役員。

プータローの僕が会社役員なんて変な気分でした。

 

作ろうとしていたゲームはいわゆるソーシャルゲームというタイプのゲームでした。

パズドラとかモンストとかの類。

それまでは僕が1人で作れるような簡単なゲームだったけど、今度のゲームはサーバーとの通信機能やユーザー情報などのデータベースも必要でした。

僕の能力をはるかに超えていたのでコワーキングスペースにいたメンバーを誘い、2人のスペシャリストに加わってもらいました。

 

とはいえ、4人ともソーシャルゲームの経験は無し

素人4人のチームでした。

 

当初は「制作期間は半年」と言っていたのだけど、全然無理でした。

毎日朝から晩までコワーキングスペースに籠って作業しました。

製作中に僕は結婚し、娘が生まれました。

仕事と子育ての両立は半端ではなく、娘が生まれて3ヶ月目にノイローゼになりました。

仕事に行くのが怖かった。

軽い鬱だったのだと思います。

 

プロトタイプ(ゲームの原型)の作成に半年、4人チームになってから1年。

開発をスタートして1年半後、ついにそのゲームはリリースされました。

最初はユーザから来るバグ報告にひたすら対処し、安定して動くことを目指しました。

バグはあったけど、メディアからの評判は上々。

他のソーシャルゲームがパズドラやモンストのコピーのような作品ばかりを出している中、新しいゲームシステムに挑戦していることが評価されていました。

ユーザからのレビューも良かったです。

が、しかし、、、

 

投入した予算を回収できるようなダウンロードはされませんでした。

最後になけなしのお金を広告費として突っ込んだけど、それでもダメでした。

「大ヒットしてたくさん稼いで新しい道をスタートする」

僕が思い描いていた夢はもろくも崩れ去りました。

貯めてきたお金は溶けてなくなったのです。

 

個人アプリ開発者は儲からない

稼いできたお金がなくなった…

ヒットしてお金ができたらやりたいと思っていたことができなくなった…

奥さんと娘がいるのに貯金が数ヶ月分しかない…

絶望と不安感でいっぱいでした。

しばらくは悲しみに暮れ、頭の中は混乱。

不安を煽る妄想がグルグルし、どうしたらいいのか分かりませんでした。

 

しかし数週間経って、ようやく前を向けるようになってきました。

裸足ランニングを2年ぶりに再開したことが大きかったと思います。

足の裏から刺激を受けることで、頭の中で暴走していた意識は体に向かい、混乱した頭の中は少しずつ整理されていきました。

 

ツラい時はコワーキングスペースのオーナーとよく話をしました。

彼と話すことで少しずつ落ち着きを取り戻していきました。

そうして出た結論は、

「僕は3年前の僕ではない」

 

「3年間で色々学んできたはずだ」

 

「それをもう一度個人アプリ開発者として試してみよう」

というものでした。

イロ呼吸をもう一度作り直し、収益化できないか試してみよう!

 

3ヶ月ほど試行錯誤しましたが、結局ダメでした。

個人アプリ開発者は儲からない。

儲けているのは本当にひと握りの人たち。

僕はどうやらアプリ開発者のほとんどを占めている1人では稼げないタイプの人みたいです。

 

フリーランスとして会社に入る

仕事探し

貯金が底をつきかけていました。

生活するお金が必要でした。

1人で稼げないとわかった以上、手っ取り早くお金を稼ぐ方法は会社でプログラマーとして働くこと。

 

「しかしなぁ、12年間もプラプラしてたやつが会社で働けるのだろうか?」

そう思ったけど、奥さんと娘がいる以上やるしかありません。

 

会社員になるという選択肢は僕の中にはありませんでした。

きっと続かない。

会社に入ったら「もっとこうしたい」っていう思いがどんどん出て来る。

でも権限がなければ動けない。

権限がないことがストレスになることはサラリーマンの時に思い知ったから戻ることは考えられなかったのです。

関連:詳しすぎるプロフィール – こうして僕はアプリ開発者になった

 

だからフリーランスの道を選びました。

プロジェクトに参加する形式なら、プロジェクトが終われば解放されます。

万が一会社やチームに不満があったとしても、プロジェクトが終わればリセットできます。

 

フリーランスエンジニアに案件を紹介するエージェント会社2社に登録しました。

レバテックはとりあえずよく聞く名前だったから登録。

ギークスはゲームチームで一緒に1年がんばった仲間が、チーム解散後にお世話になったエージェントだったから紹介してもらいました。

 

最初の登録会でレバテックにはガッカリでした。

人を商材のように扱う感じをヒシヒシと感じたのです。

登録後も猛烈な案件紹介の嵐。

案件は紹介してくれるけど僕の経歴とは関係のないものばかり。

僕の経歴をちゃんと見ていないことがよく分かったので、お付き合いするのはやめました。

 

しかしギークスの担当者は違いました。

圧倒的に僕のことをよく見てくれていました。

会う人たちみんな若かったけど、儲かるビジネスの壊れたモラル感に流された感じはなく、真摯な姿が印象的でした。

 

ギークスが紹介してくれた案件に「まずは練習だ」と思って会社訪問してみました。

ところが、相手の会社が僕のことをよく分かっていませんでした。

「どうしてこんなことになっているのだろう?」と思い、その後の訪問で状況を観察したところ、原因が分かりました。

経歴にゲタを履かされていたのです。

 

エンジニアの担当者と、企業の担当者は違います。

エンジニア担当はエンジニアのヒアリングをし、経歴をデータにします。

営業担当はエンジニア担当からもらったエンジニアのデータを元にクライアントとマッチングさせる仕事。

自分の成果にしたい営業担当は、その仕事の性質上どうしても経歴にゲタを履かせてしまうのです。

 

そのことに気がついた僕は担当者に相談して、経歴にゲタを履かせるのをやめてもらいました。

背伸びは不要。

素のままの僕のしょぼい経歴を見せて、「それでも来て欲しい」と言ってくれる会社にだけ訪問することにしたのです。

 

ゲタを履いた経歴で「この人いいな」と思っても、実際に会って話せばゲタを履いていることがバレてしまう。

そしたら会社側も期待はずれだから「あの人は結構です」となるし、僕も行くだけ無駄足になります。

 

ゲタを脱いだ経歴に変更した後、「もう案件紹介は来ないかもな」と思ったけど、意外にも案件は紹介されました。

「お会いしたいと言ってくださっている会社があります!」と担当者の女の子。

アプリエンジニアとしての僕の変わった経歴を評価してくれる会社があったのです。

 

訪問した時、僕のことをよく分かってくれている感じがしました。

僕のキャラクターを認めてくれている感じがしました。

「ここなら行ってもいい」と思いました。

 

結果は採用。

採用してくれた方にも、紹介してくれたギークスの担当者にも感謝に絶えませんでした。

 

もしフリーランスエンジニアとして仕事を探すことがあったらぜひギークスを使ってみてください。

本当に真摯でいい会社ですよ。



 

渋谷の高層タワーでアプリ開発

フリーランスエンジニアとしての日々が始まりました。

渋谷の高層タワービルの最上階に近いオフィス。

オフィスの大きなガラス窓からは東京の街が一望できました。

「スゲー!!!」

 

とても自由な風土の会社で、休憩時間は自分で決めてよく、休憩エリアのソファーで寝ることも可能でした。

服装も自由。

僕はタイパンツにサンダルという高層オフィスビルに似合わない格好で行っていたけど、目くじらを立てる人はいませんでした。

会社で働くのは12年ぶりだったから、「日本の会社の労働環境もここまで進化したかー」と感慨深いものがありました。

 

担当したプロジェクトは女性向けのファッションアプリ。

すでにリリースされているアプリで、それのアップデートのお手伝いでした。

 

チームも素晴らしかった。

チームメンバーの意思を尊重し、必要なときに必要なサポートをしてくれる上司。

優秀で熱心なメンバーたち。

そして何より若いパワー。

僕はそんな素晴らしい環境でのびのびとやらせてもらうことができたのです。

 

唯一不満だったことがありました。

それは、自然がなかったこと。

観葉植物はいたるところに置いてあるのだけど、気休めにしかならなかった。

あまりにも自然がなく、お昼が近づくと体が緊張するので、お昼ご飯は食べず、毎日2キロ先にある代々木公園まで走って行きました。

裸足になって公園内を散歩すればスッキリして午後も集中できたのです。

 

本当はこのチームで半年間やる予定だったのだけど、4ヶ月でプロジェクトのタスクがすべて終わりました。

やることがないのに、自然のない環境でボーッとしているのはかなりの苦痛でした。

結局ギークスの担当者とお世話になっていた会社の上司に相談して、早期契約終了させてもらいました。

それなりの報酬をいただいたので、4ヶ月でそれなりの金額を貯金をすることができました。

 

僕は今、その時の貯金を切り崩しながらブロガーとして生活しています。

 

まとめ

これで僕のアプリ開発者物語は終わりです。

渋谷でフリーランスの仕事をやっていた時、僕はこのブログを始めました。

 

ブログをはじめてからは世界が様変わりしました。

  • 南房総にフリーランスコミュニティを発見し、そこに家族で移住した
  • 裸足で旅するようになった
  • SNSを通じて人とやりとりするようになった
  • 「ブログ見てます」と言われることが出てきた

今でも全然稼げていませんが、ブログをはじめて良かったと思います。

生きることすべてがネタ。

生きている事自体が仕事、それがブログの魅力だと思います。

 

先が見えなくて不安に思っている人に伝えたいこと

最後に、今何かにチャレンジしていて、なかなか成果が出ず、先が見えずに不安になったり、自信を失いそうになっている人に伝えたいことがあります。

それは、

変化はある時突然劇的に起こる

 

だから今の現状がままならなくても心配はいらない

ということです。

 

もしかしたら今頭の中では

「いろいろ手を打ってるのに全然うまくいかない…」

「自分の行きたいところまで到達するにはどれくらいの時間がかかるのだろう?」

「うまくいかないまま終わるかもしれない」

と思っているかもしれません。

 

でも、劇的な変化が起これば理想と現実のギャップはあっという間に埋まってしまいます。

だから、、

 

不安に思ったり自信を失ったりしたらもったいない!

 

そんなことでエネルギーを落としてしまうなんてもったいなさすぎる!

そう思うのです。

 

アプリ開発で幸せな時間を経験できたように、ブログの世界でも幸せな時間を経験しようと思っています。

きっと何とかなる。

そう信じてこれからもブログを書き続けます。

現状を嘆く必要はない。変化は劇的に起こる。