「本当は随筆を書きたい。エッセイを書きたい。心の思うままに自分を表現してみたい」
ブログを書いてる人の多くが思っていることだと思う
「ブログって稼げるらしいぜ?」と言われて始めた人でもそうだと思う
でも実際始めてみたら日記じゃ稼げない。稼ぐつもりじゃなくてただ自己表現で始めたのにまったく読まれないからつまらなくなってしまいやめてしまう
そういうパターンがほとんどだと思う
この10年間でブログを始めた人の99%以上はそんな感じになってやめているんじゃないだろうか?
なのできっとこれを読んでいるあなたが今までにブログをやったことがあるとしたらきっと今はやっていないはずである
かくいう僕もその口であった
このブログを始めたのは裸足とワラーチの日々という裸足ランニング界のカリスマブログを読んで奮い立ち、「俺にも何か伝えられるかもしれない!」と思ってこのブログを始めた
わけのわからない熱量があったためか好スタートを切ることができて、いきなりある程度のアクセスを集めることができた
「どうせならちゃんとしたブログにしよう」と思い、当時若手カリスマブロガーだった八木仁平という人の週末ブログ講座に参加し、記事を書くことの基礎を学び、人が飽きないための、離脱しないための書き方を模索した
- 構成を考え
- 見出しを作り
- 最初に結論を持ってくる
おかげで読みやすくなったとは思う
デブッダとポチャナンダというキャラクターも誕生し、今では3人で協力して記事を書いている
デブッダ
ポチャナンダ
そのかわり熱量で書くことはできなくなった
心の内を吐露するような文章は書くことはできなくなり、
- 読まれそうなキーワードでタイトルを決め
- ゴールまで構成をすべて決めて
- 一つ一つの見出しタイトルの中身を埋めていく
そんな道筋をただ歩くだけの作業になった
さらに悪いことが発生した
苦労して記事を書くようになったのに、爆発的に読まれることがなくなったのだ
2年間はせっせと記事を書いていたが、アクセスを集めている記事のほとんどは最初の頃に書いた記事だった
死は最後のギフト? – 親の死は一概に悪いことじゃないかもしれない
熱量だけで書いた超長文記事である
「読む人の心を動かすような文章を書きたい。書ける気がする」と思って始めたブログだったが、ブログの書き方を学んでから変わっていった
「もっと読まれるブログにしたい。裸足・断食・瞑想のインフルエンサーになりたい」
恥ずかしながらそんな風に思うようになってしまった
この濁った欲望が生まれたことで僕の記事は精彩を欠くようになったと思う
「わかってほしい。認めてもらいたい。スゴイと言ってほしい」
そんな自己顕示欲が見え隠れする文章になった
自分でも薄々感じてはいたが、心のなかに蓄積された承認されることへのうずきは止められなかった
そんな僕に去年転機が訪れた
断食道場で働いていたのだけど、そのお客様の一人でスピリチュアル系セミナーを開催する会社の社長をやっていた人が来店された
アメリカなどから講師を招いて場を設け、参加者を募る。そんな仕事をしていた人
その人が僕についてこう言っていたというのだ
「イカさんもったいないよね〜。いいもの持ってるのにね〜。でも絶対に売れないね〜」
なぜ売れないのか?
- 承認欲求が強すぎて上から目線に聞こえてしまう
- 聞いている人、ひとりひとりの状態をちゃんと見れていない
僕はそれを聞いて打ちのめされてしまった
「今のままじゃ人の前に立てない。現実と向き合うしかない」
このブログでも記事にしたが、僕は断食の素晴らしさを伝えたいと思って断食道場のスタッフ兼指導員をやっていた
断食道場で働くことになりました〜好きが仕事になるとはどういうことか?
心の底から仕事が好きだったし、来てくださるお客様に喜んでもらいたくて必死にやっていた
喜んでくださるお客様もいた反面、僕の上から目線に聞こえる話にウンザリするお客様もいたという
このままではいられないと思った僕は断食道場をやめることにした
幸い僕のあとを引き継いでスタッフをやってくれる人も見つかった
「断食の素晴らしさを体験できる施設を日本全国に広げたい」などと大言を吐いたのに1施設も増やすことなく去ることとなった
断食道場をやめたあとは根無し草のようだった
何もやろうと思えなかった
自分と向き合おうと思って瞑想ばかりしていた
ずっと仕事ばかりで読書欲が溜まっていたので、読書もしていた
読書をして瞑想をする
それだけの日々を半年ほど送った
断食道場を始める前はヒマな時間があるとブログを書いたりYouTube動画を撮ったりして発信していたものだが、それもしなかった
正確に言うと発信できなかった
「自己顕示欲がどうせまた湧いてきて醜い発信をしてしまう」
このどうにも抑えがたい認められたいという気持ちを何とかするまでは発信する資格はないと思った
唯一していた発信がツイッターだったが、一つ一つのツイートにも慎重を期していた
自己顕示欲を刺激しないように気をつけながら書く
自己顕示欲がにじみ出たら消す
そんなことを繰り返していたので、ツイート数も相当に少なかった
- ツイート
- 読書
- 瞑想
これだけをする日々はある種のリハビリだったのだと思う
発信者としてどうあるべきかを模索しつづける日々だったのだと思う
半年くらい経った頃からツイートすることが苦にならなくなってきた
自己顕示欲が滲まなくなってきた
(おそらく)上から目線な発言も減ってきたと思う
発信者としてのあるべき態度が分かってきたのだと思う
そもそも何かを伝えたいと思う人は承認欲求は満たされていてしかるべきである
売れているインフルエンサーというのはいろいろあると思うが、鼻につかないインフルエンサーというのはこういう人だと思う
- 自分で自分を承認できている
- 褒められても承認欲求がうずくことはない
- 称賛されたら「喜んでもらえてよかった」と相手の幸せを喜べる
人の幸せを喜べる豊かさを確立した人なのではないかと思う
そして自分もそんな雰囲気を持てるようになってきた感じがした
僕にはやりたいことがない
「これやりたい!」と思うことは多いが、「本当にやりたい?」と自問すると心の底からやりたいとは思っていないことが多い
だから熱しやすく冷めやすい
ちょっと困難に当たるとすぐにやめてしまう
本当にやりたいわけじゃないからすぐにあきらめてしまう
でも瞑想と発信は違う
全然やめる気配がない
きっと心の底から好きなのだと思う
実用性のある情報発信も嫌いではないが、どうしても弾数が増えない
本当はもっといろいろ発信したいのに実用的な記事や動画となるとあまり発信できなくなる
発信が大好きな人間にとっては発信は呼吸のようなものである。呼吸が少なくなれば息苦しいのは道理である
そこで随筆だ。別名エッセイ。心の内を書く文章ジャンルである

これまで随筆はnoteというオンラインプラットフォームで書いてきた
読んでくれる人・温かいコメントをくれる人が出てくるものの、たいして伸びない現実を見て随筆の難しさを感じた
自分ではなく、読者を思いやること
これが随筆を書く上では大切だと思い、そのハードルの高さに圧倒され全然書けなくなっていた
まだまだ承認欲求は心の中に眠っていて、何かの折りにムクッと湧いてきそうになることがある
そんな未熟な僕だが、今なら前よりもまともな随筆が書けるような気がしてきた
そんなわけでもう一度大好きな随筆をやってみようと思ったわけです
ブログ内で「随筆」という新しいカテゴリーを作りました
気持ち悪い承認欲求が湧いてこなければこれからは時々随筆を書くと思います
「こういう感じの文章好き」
そんな風に感じてくださったらぜひまたいらしてください
なんか随筆を書くってお店を開くみたいですねw
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