イカ太郎
3年前、僕が独学でマインドフルネス瞑想をはじめた頃、友人がこんなことを言っていました。
友人
イカ太郎
友人
「ちゃんと人から教わりたいんですよね」
当時僕は瞑想というものを人から教わったことはなく、こういった書籍を頼りに手探りで自分のやり方を探していました。
自分なりに試行錯誤すること2年、1日15分ほどの瞑想が習慣化し自分なりの型ができた頃、ヴィパッサナー瞑想合宿に参加したのです。
ヴィパッサナー瞑想とは
ブッダの瞑想法と言われる。2500年前にインドでは消滅してしまった瞑想法だが、仏教国ミャンマーで脈々と伝えられ、約50年前にインド人・ゴエンカ氏によって再発見された。
独学を続け、2年後に人から教わったわけですが、この流れで本当に良かったと思います。
なぜかというと、
- 自分で作った型と正式なやり方の違いをはっきり理解できた
- 最高の環境での瞑想は、それまでの瞑想との深さのレベルの違いを体感させてくれた
から。
要はそれまでの独学でやってきた瞑想との違いを知れたのです。
この記事ではそんな僕の3年間の瞑想遍歴についてお話します。
目次
瞑想に「正しい形」はない
僕の瞑想遍歴を話す前にお話したいことがあります。
それは瞑想にはとんでもないほどの種類があるということ。
瞑想の起源はブッダを生んだ北インドの修行にあると言われていますが、そこから多くの形が派生して生まれているのです。
- 座禅
- マインドフルネス
- TM瞑想
- ヴィパッサナー瞑想
こういったよく耳にする瞑想法はこれら多くの瞑想法のひとつでしかないのです。
僕がこの状況を知って思ったのは
瞑想に「正しい形」などない
ということでした。
なので、瞑想のゴールは人それぞれでいいし、レベルもやり方も人それぞれでいいと思うのです。
瞑想はより楽に快適に生きる上でのツールでしかない。
自分に最もしっくり合う形を見つけましょう。
僕の瞑想遍歴
瞑想をはじめたきっかけ
瞑想という言葉を知ったのは社会人2年目のことだったと思います。
会社に自己啓発セミナー通いが趣味の先輩がいて、「瞑想はいいゾォ〜」と言われたことがありました。
その時は「なんだか胡散臭いなぁ」と思っただけで終わり。
でもなぜか「瞑想」という言葉は僕の中にずっと引っかかっていたのです。
合気道の呼吸法との出会い
瞑想を始めるずっと以前、呼吸について学んだことがありました。
それは24歳の頃にやっていた合気道。
強くなりたいとか護身術を身に着けたいという思いはなく、合気道の精神性を学びたかったのです。
- 強さは争うためにあるのではなく、争わないためにある
- 地球上にいる人間はすべて地球を通じて繋がっている
- 言葉から生まれる波動は2分の1、2分の1と小さくなっていくが、無限に続けてもゼロになることはない。地上に永遠に残る。それが言霊というものである
といったことを教えてくれる座学のあと、体を動かす稽古があり、最後に呼吸法の時間があったのです。
やり方はいたってシンプル。
- 最初は呼吸が浅くても構わないから、鼻の奥で少し音を出すように息を吸い、息を吐く
- 鼻の奥の音に耳をすませる
- 吸う時も履く時も糸のように細い空気を出し入れするイメージをする
- 吐く時におへその下の丹田にある気の塊がどんどん半分になっていくイメージをする
「2分の1, 2分の1, 2分の1…」
聴覚に集中し、体の中心に意識を集中しながら呼吸するその方法は瞑想そのもの。
これが僕の瞑想との出会いだったのだと思います。
アプリ開発で呼吸の世界へ
その後僕はいろんな敬意を経て10年後アプリ開発を始めます。
そしてひょんなことから生まれたアプリが思わぬ形でヒットしてしまうのです。
それがイロ呼吸というアプリでした。
大きくなったり小さくなったりするシャボン玉に自分の呼吸を合わせるだけのシンプルアプリ。
このアプリを作ったことが瞑想を始めるキッカケとなりました。
しかし呼吸のアプリを作ったものの、呼吸のことは何も知りません。
「呼吸ってなんだ?」
この疑問が僕の瞑想の入口を開けたのです。
マインドフルネスとの出会い
最初に目をつけたのは当時Googleが取り入れて話題になっていたマインドフルネス瞑想でした。
この本を購入し、どんなものか知ろうとしたのです。
簡単にいえばマインドフルネスとはこういうものでした。
- まずは体内の中に意識を向け集中していく
- 雑念が湧いていることに気がついたらその思考とお別れしてリセットする
- 集中がある程度のレベルになったら、今度は外に向けて意識を拡げていく
まずは個を確立し、そのご全体の中の個を意識するのです。
ブッダの瞑想法の宗教性を排除して、何らかの宗教に属している人でもはじめやすい形にした。
これがマインドフルネスは世界中でヒットさせたのです。
ブッダの瞑想法
さらに呼吸の世界をウロついていた僕はこの本に出会います。
アメリカにヒッピーが大量に生まれ、ZENという言葉が最高にクールだった60年代。
瞑想にどハマリして、そのご瞑想指導者になったアメリカ人の書いた本です。
仏教の真理を求めてインドやタイ、韓国、日本など多くの国で瞑想や禅を学んだ著者が、瞑想に癒され、丸く優しくなっていく過程の描写がすごく素敵でした。
この本のなかで「アーナーパーナサティ・スートラ」というものが出てきます。
ブッダが弟子たちに教えていた呼吸法について書かれた書物です。
アーナーパーナサティ・スートラ
瞑想修行者は、森に行き、木陰に行き、あるいは空き家に行って足を組んで坐り、身体を真っ直ぐにして、気づきを前面に向けて確立する。常に気をつけて、瞑想修行者は息を吸い、気をつけて瞑想修行者は息を吐く。
十六の考察
最初の四考察 (身体に関する組)
1. 息を長く吸っているときには、「息を長く吸う」と知り、息を長く吐いているときには、「息を長く吐く」と知る。
2.息を短く吸っているときには、「息を短く吸う」と知り、息を短く吐いているときには、「息を短く吐く」と知る。
3.「全身を感じながら息を吸おう。全身を感じながら息を吐こう」と訓練する。
4.「全身を静めながら息を吸おう。全身を静めながら息を吐こう」と訓練する。第二の四考察 (感受に関する組)
1.「喜悦を感じながら息を吸おう。喜悦を感じながら息を吐こう」と訓練する。
2.「楽を感じながら息を吸おう。楽を感じながら息を吐こう」と訓練する。
3.「心のプロセスを感じながら息を吸おう。心のプロセスを感じながら息を吐こう」と訓練する。
4.「心のプロセスを静めながら息を吸おう。心のプロセスを静めながら息を吐こう」と訓練する。第三の四考察 (心に関する組)
1.「心を感じながら息を吸おう。心を感じながら息を吐こう」と訓練する。
2.「心を喜ばせながら息を吸おう。心を喜ばせながら息を吐こう」と訓練する。
3.「心を安定させながら息を吸おう。心を安定させながら息を吐こう」と訓練する。
4.「心を解き放ちながら息を吸おう。心を解き放ちながら息を吐こう」と訓練する。第四の四考察 (智慧に関する組)
1.「無常であることに意識を集中させながら息を吸おう。無情であることに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
2.「色あせていくことに意識を集中させながら息を吸おう。色あせていくことに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
3.「消滅に意識を集中させながら息を吸おう。消滅に意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
4.「手放すことに意識を集中させながら息を吸おう。手放すことに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
この教えは4つのレベルに分かれています。
1つ目のレベルができるようになったら2つ目のレベルへ。
2つ目のレベルができるようになったら3つ目のレベルへ。
やってみて思ったのは、この教えの深さ。
第1のステップ:自分の呼吸の状態を知る
第2のステップ:自分の心を感じる
第3のステップ:自分の心を制御する
第4のステップ:真理を意識する
自分がどのレベルにあるのか全然分かりでしたが、仏教の修行者にとって瞑想は一生かけてひたすら深めていく世界なのだと思いました。
座禅の教え
「呼吸による癒し」を通じて仏教的な瞑想の世界を知った僕は、毎朝30分ほど瞑想するようになりました。
毎朝訪れる静寂の時、穏やかに始まる毎日。
瞑想のすごさを実感し始めた頃でした。
これは面白い!もっと瞑想の世界を知りたい!
と思った僕は、鎌倉の禅寺で開かれている坐禅会に参加してみることにしました。
「早朝座禅会に行ってみよう!」
行ったのは北鎌倉の暁天座禅会東慶寺で毎月一回開かれている坐禅会。
毎月第四日曜日に開催。参加費1000円。30分の講義付きでした。
結論からいうと大正解でした。
座禅の方法論だけでなく、座禅とマインドフルネスとの違いなどの話もしてくれました。
座禅で特徴的だと思ったのは以下のこと。
- 半眼(半分目をを開けること)
- 自分の座っている場所の1.5mほど先を見つめる
- 円を描くように息を吸い、息を吐く
そしてなによりこの教え!
整身・整息・整心
心を整えるためには、呼吸を整えなければならない
呼吸を整えるためには、姿勢を整えなければならない
この明快さ!
スタート地点は姿勢なんです。
試しに骨盤底に上半身の重さを真っ直ぐに乗せて座ってみると、呼吸がものすごく通るんです!
衝撃でした。
この姿勢の教えのおかげで、ますます瞑想のクオリティが上がったのでした。
こうして僕はヴィパッサナー瞑想合宿にたどり着いた
こんな経緯を経て僕は去年の2月、ヴィパッサナー瞑想合宿に参加しました。
人と話すこともなく、電子機器どころか本も紙もペンもなく、毎日10時間瞑想し続ける10日間。
それまでの瞑想とは次元の違う瞑想状態に入れた経験でした。
これに参加してからは圧倒的な心の安定感を手に入れました。
あれから1年間、毎日15分から1時間の瞑想を欠かさずやることで大抵のことでは動じなくなったのです。
瞑想を知ってよかったと心から思います。
最初は書籍で十分。
もっと知りたいと思った時はじめて瞑想合宿に行ってみるといいですよ。
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