瞑想を難しく考える必要はない – 今を生きるための最高のツール

 

おはようございます、イカ太郎です。

四国に戻ってきました。

徳島から高知へ向かうバスの中。

再びはじまる冒険にワクワクが止まりません。

裸足お遍路第2弾はどんな旅になるのやらw

 

この記事を書こうと思ったわけ

3日前の朝、落ち込むのは自分のせいじゃないという記事を書いたのですが、

その中で瞑想についてこんな風に書きました。

頭で考えることをやめ、五感に集中し、体の中で起こっていることを観察することで、過去にあった嫌なことや未来への不安から離れ、今という瞬間に戻れます。

これが瞑想。

その時ふと思い出しました。

以前コワーキングスペースで瞑想について話していた時、

ある人が

「ちゃんと教わりたい」

「ちゃんと教わらないとできない」

と言っていたことを。

 

でも僕は瞑想というものを誰かに教わったことはなく、

マインドフルネスの本や、タイのお坊さんの本を読んだりしながら、手探りで自分のやり方を探してきました。

今では1日に何回も瞑想をします。

1回あたりだいたい10分から30分くらい。

自分の身体を整えたり、心地いい時間を感じたり、自分と向き合ったり。

そんな感じで瞑想を楽しんでいます。

 

やってきてみて思うのは、教わらなくても目的がハッキリしていればできると思うし、教える人の目的と自分の目的が合わなければ悲劇になりうるんじゃないかということです。

実際にこういうこともあるみたいですしね。

ヴィパッサナー瞑想で危険な状態になる人・ならない人の違いとは?

 

なんとなくわかる。

頭が暴走している状態の人や、頭を使うことが大事だと思っている人は、身体に意識を向けていくことを無意識で拒絶するだろうから、当然結果は出ない。

うまくいかないものだから余計に頭が暴走してしまって、さらに悪い方に向かうことは容易にイメージできます。

心と体を楽にして気持ちを落ち着かせたいだけなのに、悟りを目指すような人に瞑想を教わったら苦しいだけだし、

頭の中をスッキリさせてアイデアの出やすい状態を作りたいだけなのに、長時間の瞑想を好む人に教わったら悲劇なわけです。

 

だから僕は目的に応じて自分でフレキシブルに瞑想できる自由なスタイルを提案したい。

だって巷にある瞑想法は自分専用の型ではないのだもの。

 

いろんな形があっていい。

 

とはいえなんのアイデアもない状態から瞑想を始めるのは難しいですよね。

だから人に教わって初めてもいいし、既存の瞑想法からエッセンスやヒントを得ながら始めてもいい。

もっと気楽にはじめていいと思うんです。

 

というわけで、この記事では僕が追求してきた自由な瞑想スタイルについてお話ししてみたいと思います。

はじまりはじまり♪

 

瞑想の多様な種類

実は瞑想というものは驚くほどの種類があります。

瞑想の実践者たちは日々新しいものを生み出しているのです。

最近耳にすることが多くなったマインドフルネスもその一つです。

「宗教的な要素を除いた瞑想」と言われています。

瞑想と聞くと胡散臭さを感じていた人も、マインドフルネスって言えば抵抗感がなくなるみたいで、それはそれでとてもいいことなのかなと僕は思っています。

瞑想ってこんなに種類がある!

 

僕が瞑想をはじめたきっかけ

瞑想という言葉を知ったのは社会人2年目のことだったと思います。

会社の先輩に自己啓発セミナー通いが趣味の人がいて、仲良くしてもらっていたのですが、その人の会話の中である日、「岡本〜、瞑想はいいゾォ〜」と言われたことがありました。

その時は「なんだか胡散臭いなぁ」と思っただけで終わりましたが、「瞑想」という単語だけが僕の中にポツンと発生しました。

とにかくイイものではあるらしい。

 

そしてその後僕はいろんな敬意を経て10年後アプリ開発を始めるのですが、ひょんなことから生まれたアプリが思わぬ形でヒットします。

それがイロ呼吸というアプリでした。

イロ呼吸が生まれたいきさつはこちら!

こうして僕はアプリ開発者になった

大きくなったり小さくなったりするシャボン玉に自分の呼吸を合わせるだけのシンプルアプリ。

このアプリを作ったことが瞑想を始めるキッカケとなりました。

 

このアプリでヒット作は出せたもの、たまたまできてしまったアプリなだけにその後に作るアプリのアイデアがサッパリ出なかった僕。

ほかに作るアプリが思いつかないならこのアプリをもっといいものにするしかない、そう思ったのでした。

しかしこれまたヒョンなきっかけで35歳から始めたプログラミング、技術力を上げてアプリを高度なものにしていける気がしなかった僕。

しかたがないので、呼吸の世界をもっと知ればなんらかのアイデアが出るのではないのか?と思ったのでした。

呼吸のアプリを作ったものの、呼吸についてあまり知らない僕は手探りで呼吸の世界に飛び込んだのです。

 

合気道の呼吸法

呼吸の専門家ではないものの、それまでの自分の経験の中で呼吸を意識したことがありました。

合気道です。

24歳頃、サラリーマンをしていた時に合気道をやってみたいと思った僕は、埼玉県の大宮市にある真心館という道場に通っていました。

もう17年も前のことです。

体力をつけようとか、強くなりたいという気持ちはサラサラなく、合気道という精神性の強い武道に興味を持ったのだと思います。

入ってみると見事なほど精神性を重んじる場で、

・強さは争うためにあるのではなく、争わないためにある

だとか、

・地球上にいる人間はすべて地球を通じて繋がっている

だとか、

・言葉という振動は地球上に永遠に残る。波動は2分の1、2分の1と小さくなっていくが、無限に続けてもゼロになることはない。それが言霊というものだ。

といった座学がけっこう多くて話がとても面白かったです。

 

そんな座学のほかに当然体を使う稽古もあるのですが、最初と最後に呼吸法の時間があったのです。

 

やり方はいたってシンプル。

◼️ 最初は呼吸が浅くても構わないから、鼻の奥で少し音を出すように息を吸い、息を吐く

◼️ 鼻の奥の音に耳をすませる

◼️ 吸うときも吐くときも細〜いストローや糸のような空気を出し入れするイメージをする

◼️ 吐く時におへその下の丹田にある気の塊が2分の1ずつ小さくなっていくイメージをする

「2分の1、2分の1、2分の1、、、、、」

聴覚に集中し、体の中心に意識を集中しながら呼吸する。

瞑想そのものなんですよね。

道場では瞑想の時間とは呼ばなかっただけ。

これが僕の瞑想との出会いだったのだと思います。

 

ブッダの瞑想法

アプリリリース後に呼吸の世界をウロついていたら呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想という本に出会いました。

アメリカにヒッピーが大量に生まれ、ZENという言葉が最高にクールだった時代、

仏教の真理を求めてインドやタイ、韓国、日本など多くの国で瞑想や禅を学んだストイック過ぎた著者が、瞑想を追求していくうちに癒され、丸くなり、優しくなっていく過程の描写がすごく素敵でした。

瞑想の可能性を感じました。

瞑想って本当にすごいものなのかもしれない。

おまけにとても読みやすく、わかりやすい瞑想についての説明もついている。

ぜひ読んでみてもらいたい一冊です。

読んでいくうちに癒されていく自分に気づくかもしれません。

 

この本のなかで「アーナーパーナサティ・スートラ」というものが出てきます。

ブッダの呼吸法。

呼吸法といいつつも瞑想法そのもの。

呼吸は瞑想状態に導くための最も大切な要素なのです。

 

ブッダの教えと瞑想は切っても切れない関係です。

瞑想を通じて悟りに到達する。

悟りとは苦しみの終わり。

瞑想を通じて自分の抱えている大小の苦しみを終わらせるのです。

 

ブッダの教え、原始仏教に近いとされるタイ仏教では修行の中心に瞑想があるといいます。

(僕は仏教をブッダの教えとは別のものとして考えています。日本の仏教はどうしても中国仏教の流れを受け継ぎ過ぎていて、中国の文化的都合に合わせて作られた仏教は、本来シンプルなブッダの教えとは違って不必要に複雑に思えるからです)

ブッダも自分で試行錯誤して自分なりの瞑想を会得し、人に伝え、その弟子たちが瞑想法の教えとして残してくれています。

それが先ほど名前の出てきたブッダの呼吸法「アーナーパーナサティ・スートラ」という教えです。

アーナーパーナサティ・スートラ

瞑想修行者は、森に行き、木陰に行き、あるいは空き家に行って足を組んで坐り、身体を真っ直ぐにして、気づきを前面に向けて確立する。常に気をつけて、瞑想修行者は息を吸い、気をつけて瞑想修行者は息を吐く。

十六の考察

最初の四考察 (身体に関する組)
1. 息を長く吸っているときには、「息を長く吸う」と知り、息を長く吐いているときには、「息を長く吐く」と知る。
2.息を短く吸っているときには、「息を短く吸う」と知り、息を短く吐いているときには、「息を短く吐く」と知る。
3.「全身を感じながら息を吸おう。全身を感じながら息を吐こう」と訓練する。
4.「全身を静めながら息を吸おう。全身を静めながら息を吐こう」と訓練する。

第二の四考察 (感受に関する組)
1.「喜悦を感じながら息を吸おう。喜悦を感じながら息を吐こう」と訓練する。
2.「楽を感じながら息を吸おう。楽を感じながら息を吐こう」と訓練する。
3.「心のプロセスを感じながら息を吸おう。心のプロセスを感じながら息を吐こう」と訓練する。
4.「心のプロセスを静めながら息を吸おう。心のプロセスを静めながら息を吐こう」と訓練する。

第三の四考察 (心に関する組)
1.「心を感じながら息を吸おう。心を感じながら息を吐こう」と訓練する。
2.「心を喜ばせながら息を吸おう。心を喜ばせながら息を吐こう」と訓練する。
3.「心を安定させながら息を吸おう。心を安定させながら息を吐こう」と訓練する。
4.「心を解き放ちながら息を吸おう。心を解き放ちながら息を吐こう」と訓練する。

第四の四考察 (智慧に関する組)
1.「無常であることに意識を集中させながら息を吸おう。無情であることに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
2.「色あせていくことに意識を集中させながら息を吸おう。色あせていくことに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
3.「消滅に意識を集中させながら息を吸おう。消滅に意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。
4.「手放すことに意識を集中させながら息を吸おう。手放すことに意識を集中させながら息を吐こう」と訓練する。

 

4つのレベルに別れています。

最初は第1の考察を意識しながら呼吸する。

そしてそれが出来るように思えたら次のステップに進む。

ステップバイステップ方式。

ブッダは相手に合わせて段階に応じた教えを説いたと言われているけど、ここにもその一旦が見えます。

 

やってみて思ったのは、この教えの深さ。シンプルで簡単そうでありながら奥が深い。

第1のステップ:自分の呼吸の状態を知る
第2のステップ:自分の心を感じる
第3のステップ:自分の心を制御する
第4のステップ:真理を意識する

簡単に言っちゃえばこういうことなんでしょうけど、やってみるとめちゃくちゃ深い!

知っていることと実践していることの間にある途方もないギャップを感じました。

知るのは簡単。でも実践しなければ何も知らないのと同じ。

瞑想は一生かけてひたすら深めていく世界なのでしょう。

 

座禅の教え

呼吸による癒し―実践ヴィパッサナー瞑想を通じて仏教的な瞑想の世界を知った僕は、この本の瞑想を毎朝30分ほど実践するようになりました。

早起きなのでだいたい朝の5時くらい。

毎朝訪れる静寂の時、穏やかに始まる毎日。

瞑想のすごさを実感し始めた頃でした。

 

これは面白い!もっと瞑想の世界を知りたい!と思った僕は、鎌倉が家から近かったこともあり、座禅に興味を抱きました。

「早朝座禅会に行ってみよう!」

以前北鎌倉を訪れた時に、お寺の前に早朝座禅会の大きな案内看板があったので、存在自体は知っていました。

円覚寺では暁天座禅会と銘打って毎朝6時から無料で参加できる座禅会が開かれています。

しかし、いきなりパッと行って座禅の世界の瞑想を体験できるとは思えなかったので、多少座禅の世界について説明してくれる方がいいなと思った僕は、

円覚寺同様に北鎌倉の駅からすぐの場所にある東慶寺で毎月一回開かれている坐禅会に参加してみることにしました。

毎月第四日曜日に開催。参加費1000円。30分の講義付き。

 

結論からいうと大正解でした。

座禅の方法論だけでなく、座禅とマインドフルネスとの違いなどの話もしてくれました。

特徴的だと思ったのは、

◼️ 半眼(半分目をを開けること)

◼️ 自分の座っている場所の1.5mほど先を見つめる

◼️ 円を描くように息を吸い、息を吐く

ということでした。

そしてなによりこの教え!

整身・整息・整心

を整えるためには、呼吸を整えなければならない

呼吸を整えるためには、姿勢を整えなければならない

この明快さ!

姿勢が呼吸を整え、呼吸が心を整える。

スタート地点は姿勢なんです。

で、試しに骨盤底に上半身の重さを真っ直ぐに乗せて座ってみると、呼吸がものすごく通るんです!

こんなに呼吸のポテンシャルを僕は残していたのか!

衝撃でした。

この経験のおかげで、ますます瞑想のクオリティが上がったのでした。

 

結局なにが言いたいのか

いろいろお話ししてきましたが、

結局何が言いたいんだ!!

とそろそろお思いですよねw

 

やっぱり冒頭にお話ししたことが言いたいだけなんですよ。

 

瞑想法に答えはない。

教わらなければ瞑想できないということはない。

人それぞれでいい。

目的を見失わないことが大切。

自分の形を探していくのは面白い。

目的を見失わないことが大切。

ってことです。

 

もっと楽しんでいいんですよってことです。

間違っていてもいいんですよってことです。

だって別に瞑想の先生になってお金を取りたいわけじゃないんでしょ?

 

僕もたしかに合気道や座禅で人から教わったし、本からも教わった。

でも人から教わらなきゃとは思ってなかった。

興味の糸を紡いでいただけ。

 

こうじゃなきゃダメっていう考え方をしてしまうと窮屈になってしまうし、自分の可能性を狭めちゃう。

瞑想の世界は人それぞれ。

自分の心は誰かと同じじゃないんです。

だから瞑想の形も違う。

 

最高に自分に合った瞑想を探してみませんか?

 

頭に心を支配させないために。

今を生きるために。

 

そう、瞑想ってやつは今を生きるための最高のツールなのです!