一般人が本格的に瞑想をやろうと思ったら1時間がひとつの目安となると思います。
スティーブ・ジョブズが唯一iPadに入れていた書籍「あるヨギの自叙伝」のパラマハンサ・ヨガナンダは修行時代に夜は3時間くらい瞑想していたようなことが書いてあります。
でも宗教者でもない人が3時間の瞑想時間を取るのは難しいはず。
世界中で広がっている10日間のヴィパッサナー瞑想合宿では1時間の瞑想を1日に8回ほどやります。
瞑想合宿終了後も朝晩1時間ずつ瞑想することを勧められます。
実際その通り5年ほど続けてみて、1時間というのは一般人にとっては絶妙な時間だと思うわけです。
イカさん
しかしですよ。
瞑想を始めたばかりの頃は1時間は途方もなく長い時間に感じるわけです。
足腰が痛くなってくるし、ずっと身体の中をスキャンし続けているのになかなか1時間が経ってくれない。
そんなふうに思ってました。
ポチャナンダ
そんな僕でしたが、今は1時間の瞑想は普通にできます。
タイマーもかけません。
朝起きて瞑想してしっかり心身の一体化を感じたら目を開ける。
そうすると大体1時間くらいです。
時々「今日はもう少し深いところまでいってみよう」と思うことがあって、そういう時は1時間半くらいやることもあります。
イカさん
今日は1時間やりたいのになかなか終わらないともがいていた自分のために伝えたいことを書いてみようと思います。
目次
2回目の10日間コースで飛躍的な進化を遂げた
まず伝えたいのはなによりこれですね。
最初の参加から3年経って2回目の10日間コースを受けたんです。
この時に一気に進化した感がありました。
初めての瞑想合宿ではそれまで独学でやっていた自分なりの瞑想が「なんちゃって瞑想」だったことに気づき、ヴィパッサナー瞑想という良い型を手に入れました。
それから3年間自分なりに毎日瞑想し続けてきましたが、大きな進化を感じたことはなく、「瞑想合宿中の感覚はやっぱりすごかったなぁ」と思っていました。
瞑想合宿中に到達した感覚というのは「真っ暗でシーンと静まりかえった宇宙の中に自分の意識だけがぽつんと存在している」、そんな感覚でした。
そういう感覚は2回目の瞑想合宿まではなかったわけです。
イカさん
2回目の合宿以降は自宅でも深い瞑想に毎日入れるようになった
2回目の瞑想合宿はすでに1時間座ることができる状態からのスタートでした。
なので、1回目の時のような「これでいいのかな?」とか「体が痛いな〜」という感覚はないわけです。
純粋に毎日9時間瞑想をすることができます。
こうなってくると瞑想に深さがでてくるようになったんですね。
瞑想の深さというと抽象的なので、もう少し詳しくいうと全身の感覚の濃度がどんどん濃くなってくるというのが僕なりの表現です。
前々回の記事でも書きましたが「全身にジンジンとした感覚が広がっている」「そのジンジンとした感覚のプールの中に自分という意識が存在する」というような感じです。
デブッダ
そしてこの感覚は自宅に帰ってからも消えることはありませんでした。
毎日同じような感覚になるようになったのです。
この時から時間の感覚が変わりました。
瞑想に深さが出てくると時間感覚が変わる
1時間が長いなぁと思っていたころはこんな感じでした。
- 頭のてっぺんから足の先まで観察する
- 足の先から頭のてっぺんまで観察する
- 同じことを繰り返す
- 同じことを繰り返す
- 同じことを繰り返す
- 「いつまで繰り返したら1時間経つんだ?」って感じ
ところが今はこんな感じです。
- 頭のてっぺんから足の先まで観察する
- 足の先から頭のてっぺんまで観察する
- 「そろそろ1時間だな」
これだけみるとこう思うんじゃないですかね?
男性
って。
でも違うんですねー。
実は試したことあるんですよ。
1つずつの部位を今までよりも長く観察してみたことが。
ポチャナンダ
でも体感時間は変わらず「まだ1時間経たないのか」って感じでした。
じゃあ何が違うのか?
結局深さが出てこないと時間感覚は変わらないのだろうと思います。
夢って一晩で4本も5本も見るじゃないですか?
時間に換算したら1日分くらいありそうなものなのになぜか数時間しか経ってません。
あれって睡眠というのが特殊な脳波の状態にあるから起こる不思議な時間感覚ですよね。
あれと同じなのではないかと思っています。
瞑想が深くなってくると脳波が変わって時間感覚が変わる。
科学的な証明はできませんが、きっとそうなのだろうと思っています。
ポチャナンダ
寝てませんね。
身体というプールの中で自分の意識が存在しているという感覚がしっかりありますし、瞑想を終わらせようと思えばいつでもやめることができます。
ただ瞑想を終えた時は寝起きのようなスッキリ感はあります。
頭の中がすっきりしていて身体中に幸せな感覚が広がっています。
呼吸が楽で思わず笑顔になってしまう感じです。
身体の痛みはそんなにいつまでも続かない
身体が痛くて瞑想が長く感じるというのはけっこう早い段階で卒業してました。
1回目の瞑想合宿終わった頃には1時間座って体が痛いということはなくなっていましたね。
ただ何年か苦しんだのは左の膝の痛みでした。
僕は半跏趺坐で瞑想します。
イカさん
デブッダ
結跏趺坐でも1時間座ることもできるのですが、完全に痺れが麻痺するまでの30分ほどは瞑想に集中しづらいので楽に集中できる半跏趺坐で座るようになりました。
もしかしたら結跏趺坐にこだわって座っていた時の影響なのか左膝が痛むようになりました。
これは何年か続いたのですが、股関節の可動域を広げる運動を毎日続けていたら痛まなくなりました。
足の痛みは股関節の可動域を広げてあげればなくなると思っています。
ポチャナンダ
背中や腰の痛みは骨盤の上に上半身を楽に載せることができていないだけだと思います。
なので、まずはきれいな姿勢を長く続ける訓練を続けることが大事です。
ポチャナンダ
僕なりの説明をすると
- 骨盤底の2点の上に上半身がまっすぐ乗っている状態
- 筋肉の力をできる限り使わない状態
- 上半身の重さを骨で支えている状態
- 背骨を1本の棒と見立てた時、前後左右傾かずに真っすぐに立っている状態
という感じです。
まず大切なのは姿勢。
きれいな姿勢をサポートするのが脊柱起立筋などのインナーマッスルという感じです。
なので、上半身をうまく骨で支えることができていなければいくら筋肉が育っても長時間リラックスすることはできないでしょう。
「まずは姿勢。それをサポートするのが筋肉」
「足が痛くなったら股関節の可動域を広げる」
これを意識して取り組めば痛みの問題は解決されるはずです。
イカさん
何より言いたいのは「急ぐな」ということ
最後に伝えたいのはこれです。
「急がなくていい」
「求めすぎるな」
試行錯誤を繰り返しながら瞑想を続けていけば1時間が長いと思わなくなる日は必ず来ます。
「もっと深い瞑想をしなきゃ」と求めれば求めるほど深い瞑想には入れません。
- 必ずその時はくる
- 続けていれば必ず変化はおとずれる
- それが無常というこの世界の仕組みだ
そう思って息が吸えること、心臓が動いてくれていること、光を感じる目を持っていること、空気や衣類の接触を感じる皮膚が機能していることに愛と感謝を抱きながら瞑想していればいいと思います。
毎日、今この瞬間に変化している。
その変化は少なくとも良い変化です。
急がず、求めすぎず瞑想できる今を楽しんで欲しい。
かつての自分にそう言いたいですね。
じゃ今日はここまで。
イカさん
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