イカ太郎
僕はずっと浮き沈みの激しい性格でした。
何かに興奮しては、上がりすぎたテンションをコントロールできなくなり、
「やりすぎてしまったかも」
「周りから非難されるかも」
と不安に思って落ち込むことが多かったのです。
躁鬱の気があったのかもしれません。
そんな僕が今ではほとんど落ち込むことがなくなりました。
あんなに浮き沈みが激しかったのがウソのようです。
今回は僕が変わるきっかけになった2つの習慣についてお話します。
デブッダ
目次
落ち込まなくなったのは不食のせいではなかった
数ヶ月前から不食という食べない実験をしていて、1ヶ月間の超少食を続けていました。
その間毎日、夕方になると異様な幸福感に襲われていたのです。
すっかり落ち込まなくなったのは食事の量を激減させたからだと思っていたのですが、この不食実験が終わったあと、普通に食事をとるようになっても落ち込むことがないのです。
それで疑問が生まれたのです。
落ち込まなくなった理由はなんなんだ?
裸足と瞑想以外に考えられる原因がない
そして考えた結果、
- 裸足で外を歩いていること
- 毎日必ず瞑想するようになったこと
この2つがメンタルにプラスに作用しているのだと気づきました。
なぜか?
裸足で歩くことにも瞑想にも心を安定させるメカニズムがあるのです。
瞑想が心を安定させるメカニズム
瞑想には心を安定させる作用があることはよく知られています。
しかし、どうして瞑想に心を安定させる作用があるのかは意外と知られていません。
それはなぜかというと、瞑想とは一体何なのか?が知られていないからです。
瞑想とは、簡単に言えば、頭の中の思考をストップし体に意識を移す作業です。
目を閉じて座るとたくさんの雑念が湧いてきます。
湧いてくる雑念は
- 心配していること
- 気になっていること
- 解決したいと思っていること
- 重要度の高いこと
などで、実は自分の脳のメモリの大部分を勝手に消費している思考なのです。
これらの思考が脳内のメモリを専有しているために、その他のことを考える余裕がなくなる。
その結果として不安になったり落ち込んだりする。
この雑念を瞑想によって一つずつ解除していく。
そのために体に意識を向ける。
それが瞑想が心を安定させるメカニズムなのです。
裸足で歩くことにも瞑想と同じ効果がある
裸足で歩く習慣をもったことは、瞑想の時間以外に瞑想習慣を持つようなものでした。
足の裏は脳から一番遠い肉体組織です。
靴と靴下を履いていると、足の裏の感覚は弱いものです。
しかし裸足で地面を歩くとかなり強い刺激があります。
この刺激が強い場合、意識が足の裏に向くので、雑念について考えづらくなるのです。
瞑想や裸足でなくても体に意識を向ける習慣を身につければいい
気持ちが軽くなる瞑想のメカニズムは裸足や瞑想じゃなくても実現可能です。
例えば体を動かすこと。
ランニングでも水泳でもスポーツでも登山でもなんでも大丈夫。
運動すれば自然と体に意識が向かいます。
他にはアロマの匂いを嗅ぐこと。
香りに意識を向ければ雑念を解除することができます。
料理しておいしいものを食べることもオススメです。
料理に集中すれば気になっていることについて考えるのは難しくなります。
心配事に集中していたら包丁で手を切りますからね。
料理の香りをかぎ、おいしくいただく。
雑念に意識を向けない時間が生まれることが大切なのです。
キレイな景色を見に行くこともいいですね。
ドライブして遠くに行ってもいいし、近くの見晴らしのいい場所に行ってもいい。
景色じゃなくても美術館にいってもいいし、キレイな女性やカッコいい男性を見に街にでかけていくのもいいですね。
要は脳ではなく、五感を刺激する何かをすること
今挙げたいつくかの例はご想像の通り五感を刺激するものばかりです。
落ち込まないための方法は生活の中に五感を刺激する習慣を意図的に取り入れていくことなのです。
この感覚を知るための入り口としては一番最初にあげた瞑想が一番だと思います。
瞑想は太古の昔から修行者たちがやってきたことですが、2,500年前にインド北部でブッダが体系的にまとめたと言われています。
このブッダの瞑想法は、マインドフルネスといった形でGoogleなどの世界的な企業で取り入れられるようになり、ここ数年多くの人達が生活に取り入れ始めています。
僕も最初は独学でマインドフルネス瞑想を学んでいましたが、ブッダの瞑想法を本格的に学べる場所が京都と千葉にあると聞き、10日間毎日10時間、合計100時間も瞑想し続ける合宿に参加してきました。
この経験が今の僕の安定した精神状態の基礎を作ってくれたので、興味があったらぜひこの記事を読んでみてください。
安らかな気持ちが続くって本当に心地いいものですよ。
[…] 3日前の朝、落ち込むのは自分のせいじゃないという記事を書いたのですが、 […]