心の声って何?って思ってたけど、瞑想してたらわかってきた

おととい娘に「心の声を聞いてごらん」と言う機会がありました。

しかし娘には何のことかわかりません。

なので、心の声とは何なのか自分なりに思うことを説明しました。

ずいぶん精神的なことを教わってる7歳だね

ポチャナンダ

心の声って大人も使う言葉ですけど、意外と何だかわからずに使っているように思います。

そういう僕もずっと何なのか分かっていないのにフィーリングで使っていたのですが、瞑想を進めていくうちに

  • 脳の声
  • 心の声
  • 自分の中の自分の声

という3つの存在からメッセージをもらっているなぁと気づくようになりました。

今日はそんな3つの声についてお話ししようと思います。

イカさん

あくまでも僕の体験からの気づきなので、一般論とかではありません。でもこの違いがわかると迷いがなくなるので助かってます!
ワシとポチャナンダの声も入れると5つの声じゃなw

デブッダ

脳の声と心の声の違い

自分の中の自分の声は置いといて、まずは脳の声と心の声について説明しようと思います。

脳の声とは

脳の声はそのままですね。

脳みその声。

別名「心の声を装いがちなやつ」です。

多くの人はこれを心の声だと思っているよね!

ポチャナンダ

頭の中で聞こえる自分の声のほとんどがこれです。

脳内おしゃべりとも言うのぉ

デブッダ

これがすごく心の声と混同しやすいと思うんです。


親切な人「本心は違うでしょ?心の声を聞いてみて!」

自分「(えっ!心の声?)」

自分「(今頭の中で聞こえてるこれが心の声なのかな?)」

自分「(それならさっきの意見が心の声なんだけど…)」


みたいになったことありません?

心の声ってなに?

男性

そもそも心の声は簡単に聞こえないもの。

だから「心の声を聞いてみて!」っていうわけですよね。

じゃあその聞こえづらい心の声っていったいなんなんでしょう?

心の声を装う脳の声とは?

心の声というのは別名「良心」です。

人間が生まれたときからもっている優しい心です。

「心の声に従って生きよう!」というのは「良心に従って生きよう!」ということです。

心の声を良心に置き換えるとすごくわかりやすいね!

ポチャナンダ

しかしこの心の声が間違って使われることがあります。

それはどういう時かというと、

悪い人「グヘヘへ…。○子をモノにしたいんだろ?心の声に忠実になれよ!」

みたいなとき。

これは心の声じゃないんですよね。

脳の声なんです。


脳ってめちゃくちゃ便利です。

僕らが声を出せるのも、計算できるのも、体を動かせるのも、字を書けるのも、歌を歌えるのもすべて脳のおかげ。

しかし脳というやつは「頭はいいけどバカなやつ」でもあるわけです。

学生時代にも社会人時代にもよくいますよね。

  • 勉強できるけど人の気持ちがわからないやつ
  • 仕事できるけど人の心の痛みがわからないやつ

そんな感じ。

そしてけっこうネガティブ

「疲れたー」「やりたくねぇー」「めんどくせぇー」「あいつ嫌いだー」

そういう後ろ向きな言葉を吐きがち

めちゃくちゃ助かる存在なんですが、脳の声ばかり聞いていると嫌なやつになってきます。

心の声を聞くための準備

だから脳の能力を生かしながらも心の声(良心)を聞くということが大事になってくるわけです。

好き嫌いが激しく、損得勘定に合わないことを極度に嫌う脳。

そんな脳をうまく説得するのが心の声なのです。

例えば

「めんどくせー、やりたくねぇー」

と脳が言ってる時に心の声は「でもこれやっちゃうとスッキリするよ!あとが楽になるよ!」と僕らに伝えようとしているわけです。

しかし心の声を聞ける状態じゃなければ心の声は聞こえません。

僕らは脳の声にひきづらられて「めんどくせー、やりたくねー」に染まっていってしまいます。

なんかわかる気がする。じゃどうやって心の声って聞けばいいの?

ポチャナンダ

心の声って自分の状態がよくないと聞こえないんです。

不安だったり、嫌悪感でいっぱいだったり、怒りを感じていたりすると聞こえません。

たしかに!イライラしているときって良心が発動する余地がない感じがする!

ポチャナンダ

でしょ?

じゃ心の声が聞こえない時ってどういう状態でしょう?

一言でいうと「呼吸が乱れている時」です。

心が乱れている時は呼吸が乱れています。

逆に呼吸がゆったりと整っているときは心は乱れていません。

めちゃくちゃわかるわ〜

ポチャナンダ

だから心の声を聞きたいときはまずは呼吸を整える必要があります。

不安なとき、怒りに満ちている時は呼吸に意識を向けてもなかなか整ってはこないでしょう。

だからある程度の時間が必要です。

目を閉じ、呼吸に意識を向け、頭の中に充満している脳のネガティブな声に気づいたら呼吸と共に捨てていく。

そんなふうにして脳内おしゃべりがやんだころ呼吸が楽になり、心の声が聞こえる状態になるのです。

心の声はどんなふうに聞こえるのか?

でもさ、心の声ってどういう感じで聞こえるの?

ポチャナンダ

こんな感じです。

  • 目を閉じて呼吸に意識を向けていたら
  • 雑念がなくなり、心が静かになってきた
  • 「微笑んでみようかな」と思うといい感じで微笑むことができる

まずはこういう状態になっていること。

とっても呼吸が楽で幸せな感じ。

この状態で心に質問するのです。

「この問題についてどう思う?」

そんなふうに質問したときにフワっと湧いてくるアイデア。

これが心の声です。

声だけど音じゃないんだ!

ポチャナンダ

そう。音じゃないんです。思念なんです。

この思念は直感的に自分の本心であることがわかります。

脳の意見を聞くと気持ちがブレると思うんですけど、心の声は「うわぁーこれだわー」って感じなのです。

じゃ心の声が聞こえた時って迷わないわけ?

ポチャナンダ

迷うと思います。

自分が損得勘定にどっぷり浸かっている時に損得勘定に合わない心の声が聞こえちゃったら迷うと思いません?

でも心の声が聞こえると損得勘定も揺らぐんです。

心がわかっているから。

この時人は成長の一歩手前にいると思うんです。

自分の中の自分と出逢おう

瞑想を習慣にしていくと、

  • 呼吸に意識を向ける
  • 雑念から離れる
  • 呼吸が整う
  • 気持ちが整う

というプロセスが日常の中で早く行うことができるようになります。

これができれば心の声が聞こえやすくなります。

そのため自分の心にそぐわない判断をすることが減り、自分の選択に自信を持てるようになります。

でも瞑想をもっと深めていった時、僕は自分の中の自分というものに出会ったのです。

なんなのそれ?

ポチャナンダ

質問したら答えてくれるのが心の声だと言いましたが、それの一段上のバージョンなんです。

んーわからん!

ポチャナンダ

心の声も自分なんですよ。

それはなんとなくわかるんです。

でも一段上のバージョンの声も自分なんです。

でも心の声よりも大人で達観してて、なんかすごい賢者のおじいちゃんみたいな感じなんです。

(イメージはこんな感じ。体はないけどなんかすごい落ち着いた雰囲気)

心の声の主は自分の中の自分とは違うのか?

最近はこの自分の中の自分との対話がメインとなっていたので、心の声の自分のことは忘れていました。

でもいざ娘に説明しようとしたらこの2つの声の主は違うと思いました。

じゃあいったいなんなのか…

ドキドキ

ポチャナンダ

あくまで推測でしかないんですが、

心の声:今世の環境で育まれた良心

自分の中の自分:何度も何度も過去生を生きてきた自分

だと思います。

輪廻転生を信じていることを前提とした話じゃよ

デブッダ

だから妙に達観しているのかもしれません。

なるほどね。それならわかる気がする!

ポチャナンダ

自分の中の自分は瞑想が深くならないと現れない

瞑想で呼吸が整って心が整うと心の声が聞こえてきますが、もう1人の達観した自分は出てきません。

でも体の中の感覚に耳をすませ、全身が一つの塊になるような感覚を何度も繰り返すことで深めていくとシーンと鎮まり返り、ものすごく楽な感覚がやってきます。

こうなると自分の中の自分の声が聞こえるようになるのです。

イカさん

聞こえるというより、自分の中の自分自身になるという感じのほうがしっくりくるかも

自分の中の自分は徹底的にやさしいです。

どんな時も僕の味方。

たとえ失敗したなぁと思ったことがあった時でも長期的な視点に立って肯定してくれます。

そうすると全ての失敗は長期的視点に立てば自分の糧になっていることに気づきます。

その人はめちゃくちゃ達観してるんでしょ?なんでも教えてくれるの?

ポチャナンダ

なんでも教えてくれるわけではありません。

ほとんどの質問はこの2つで返してきます。

「大丈夫だよ」

「もうわかってるでしょ?」

何か不安に思っている時には「大丈夫、僕がついてる」と言い、疑問があって質問すると「もうわかってるでしょ?」と言うのです。

たぶんこの先に神がいる

瞑想は叡智に繋がる手段といいますが、現段階での僕はこんな感じの恩恵を受けています。

でも世界には面白い体験をした人たちがたくさんいるわけです。

その体験を本にしてくれたものを僕らは読むことができ、生きる上での参考にもできるわけです。

ありがたいよね!

ポチャナンダ

たとえば「引き寄せ」という言葉を有名にしたこのシリーズ

この本は瞑想するようになった夫婦の奥さんがエイブラハムという名前のマスターの声を聞こえるようになる話です。

そしてそのものズバリ「神との対話」というシリーズもあります。

これは瞑想によってではないのですが、手が勝手に文字をつづるようになる自動書記といわれる現象が起こり、自らを神と呼ぶ存在と話した内容を綴ったものです。

これも世界的ベストセラーだね!

ポチャナンダ

直接神と対話できたら面白いだろうなとも思いますが、本でも十分だと思っています。

書いた人は神と対話しているわけなので、それを読むことは神のメッセージを聞くことと何の変わりもないだろうと思うからです。

でもこの世界と一体になる感覚とか味わってみるのも楽しいだろうなとも思います。

まぁ体験できればラッキーだけど、体験できなくても十分幸せな人生は送れる。

余計な期待はせずに今を楽しく生きようと思います。

というわけで今日はここまでです。

最後までお読みくださりありがとうございました!

イカさん

また明日!

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