僕はずっと自分のことがよくわからないと思ってました。
ちょっと悩みでもありました。
人のことはよくわかる。
「あの人はこういういいところがあるな。こういう悪い癖もあるな」
「こんなふうに考える傾向があって、こんなふうに決断して行動するな」
みたいな。
デブッダ
これって絵を描くときの能力と同じなんです。
観察力の問題。
よーく見ていれば詳細な描写ができます。
子供の頃から絵を描くことが得意だった僕にとって人を観察することは難しいことじゃありませんでした。
ポチャナンダ
しかし自分を外から見て観察することはできません。
自分が話したり行動したりしている姿を外からリアルタイムで見ることはできませんから。
「自分を客観的に見ろ」と言う言葉を知っても、
「自分を客観的に見るってどういうこと?」と思っていました。
頭の中で映像化するのは得意なはずなのに、自分の姿を映像化するのは極めて難しかったのです。
デブッダ
でも改めて「自分がわからない」ということについて考えてみると「自分がわからないってどういうこと?」と思いました。
ポチャナンダ
自分の何がわからないから僕は悩んでいたんでしょうか?
考えてみました。
するとこんな答えが出てきました。
- 自分がわからなくて悩んでいたんじゃない
- 自分が外から見てどう見えるかわからないから悩んでいた
- 人が自分のことを「〇〇な人だよね」と的確に言ってくれたらいいのにと思っていた
- できれば肯定的な表現で教えてほしかった
- 否定的な評価を恐れていた
これが一つ目。
ポチャナンダ
そしてもう一つは、
- 突拍子もないことを口走ってしまったり、人を傷つけるような言動をしてしまうことが多かった
- 自分の思考パターンがよくわからないから、いつも出てくる言葉が予測不能
- もし自分(の思考パターン)がわかっていれば未然に防止できるはずじゃないか?と思っていた
- しかし自分の思考パターンが把握できないので、操作不能な自分に苦しんでいた
ポチャナンダ
「外からどう見えるか?」という問題と「中で何が起こっているのか?」という2つの問題で悩んでいたのです。
自分がわかっていないと自己評価が下がっていくんですよね。
人の評価に翻弄されちゃうから。
人がいいねって言えば喜ぶし、良くないねって言えば落ち込む。
でも人によって言うことは変わります。
「ここは自分のいいところなんだ」と思っていたのに違う人に違う評価を言われる。
こうなるとどんどん混乱していくわけです。
ってね。
そんな僕でしたが今自分に「自分のことわかる?」と問いかけたらこう答えることができます。
「まぁ、わかるかな」
ポチャナンダ
デブッダ
そんな自信満々という感じではないんですけど、自分というものが最低限わかるようになって安心できるようになった感じがします。
ポチャナンダ
自分のことを完璧に理解するなんて不可能だと思うんですよ。
この魂がこの生命としてこの環境で生まれ、生きてきたことにはあらゆる要素が絡み合っているから。
生命の背景を完全に理解するなんて常人には無理。
でも必要最低限の理解なら不可能じゃありません。
ポチャナンダ
困らない程度に自分がわかっていればいいんです。
僕の場合は
- 他人の評価に翻弄されない
- 突拍子もないことを言ったり、人を傷つける言動をしない
ということ。
ポチャナンダ
他人の評価を気にするのは自分がわかっていないから。
「イカさんって〇〇だよねー」
そう言われても、自分のことがわかっていれば「その通りだな」もしくは「違うな」で済むわけです。
でもわかってないと「そうなの?」「どうなの?」と迷う。
自分の内部で起こっている反応や考えが分かっていれば、「あ、この流れは今まで失言してた流れだな」って早めに気づけます。
つまり自分の内部で起こっていることが分かっていればどちらにも対応できるわけです。
デブッダ
もうこのブログでは散々瞑想のことは書いてきているので、ここでは抜粋だけにしますけど、
瞑想は自分の内部で起こっていることを観察する行為です。
- 今じぶんの呼吸はどうなっているだろう?
- 自分の筋肉に緊張はないだろうか?
- 体の中で硬くなっている部分はないだろうか?
- ストレスがかかっている部分はないだろうか?
と探っていきます。
ポチャナンダ
自分の心が反応したり考えが生じたりするのは、無意識が体に変化を起こすからなんです。
- 何かを言われる
- 無意識が体に変化を起こす
- └ 呼吸が浅くなる
- └ 筋肉が緊張する etc…
5.その無意識の反応に対して僕らの意識が「〇〇だなぁ」と思ったり考えたりする。
そういう順番。
静かに座り、目を閉じて、呼吸に意識を向け、姿勢を整え、体の中で起こっていることを観察する。
これを続けていくと、自分が普段「何に対してどう反応し、どう考え、どう行動しているか」が分かってきます。
考えた結果分かるのではなく、だんだん気づきのレベルが上がって「あ、そういうことか!」とわかる。
「あ、そういうことか!」
「あ、そういうことか!」
「あ、そういうことか!」
そんな気づきが積もってくると、自分というものが何に対してどう反応し、どう考える生き物なのかが分かってくる。
すると不思議なくらい安心感が出てくるんです。
自分の反応や考え方が分かってくると自然と自分の嫌いなクセが消えていきます。
なぜかというと嫌いなクセがどういう仕組みで発生しているか分かるからなんですね。
機械の修理とか考えると分かりやすいと思うんですよ。
機械の仕組みがわかっていないとどう直したらいいかわからないじゃないですか?
でも内部の仕組みが分かっていれば直せますよね。
そういう感じで自分の内部の仕組みがわかると直せることがわかってくるんです。
だから自然と直っていく。
自分の好きな考え方だけが残り、嫌いな考え方が消えていく。
そうなると自己評価も上がるし、人の評価も気にならなくなってくるんですね。
ポチャナンダ
デブッダ
そんなわけで「自分のことがわからない」と悩むくらいなら自分の中で何が起こっているのか観察してみてほしいんですよね。
これには頭の良さは必要ありません。
考える力も必要ありません。
必要なのは
- 自分を知りたいという思い
- 自分の中を丁寧に観察してみようという思い
- 静かに座れる環境
- 時間
です。
自分のことが分かってくるとどっしりと安心して生きていけます。
不安がどんどんなくなっていきます。
いろんなことが不安でたまらない人にはぜひ試してみてほしいです。
じゃ今日はここまで。
最後までお読みくださりありがとうございました!
イカさん
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