最近のブログで「近所のおばあちゃんが末期癌になって緩和ケアの病院に旅立ったよ」っていう話を書きました。
息子も娘もその意志を受け入れ、せっせと一人暮らしだったおばあちゃんの元へ通い、みんなそれなりに幸せそうに最後の日々を送っているよという話。
ポチャナンダ
で、おばあちゃんが近所からいなくなって1週間ほどたったんですけど、なーんか僕の元気がないんですよね。
- おじいちゃんが亡くなった
- 1人暮らしの寂しさに圧倒される
- 転んで骨折してしまう
- 激痛で横になることもできず寝ることもできない日々
- 入院してもとくにやることもなく退院
- 痛み止めが効かなくなる
- 背骨の手術
- 痛みが収まった
- しばらくは平穏な日々
- 股関節の痛みを訴える
- 病院に連れて行ったら末期癌だと判明
という激動の一年をご近所さんとして過ごしてきたんですが、毎日のようにおばあちゃんのところへ通い、犬の散歩やゴミ捨て・病院への送り迎えをやっていたのに今はやることがない。
おばあちゃんの笑顔もない。
犬の声も聞こえない。
….。
なんか心にぽっかり穴が空いたようなんです。
「なんか変だな〜」とは思っていたんですが、原因がよくわからなかった。
でも今朝わかったんですよね。
「あぁ、おばあちゃんと犬がいないからだ!」
ポチャナンダ
イカさん
同時にもう一件近くで仲良くしていたおばあちゃんも膝の手術を受けたもののリハビリの経過が思うようにいかなかったと聞きました。
もう家に帰ってくることはないだろうと言われています。
このおばあちゃんは近所のおばあちゃんたちのリーダーみたいな人で、この人の家の前では晴れた日はいつも井戸端会議が開かれてたんですよね。
でもいなくなったら誰も井戸端会議をしなくなっちゃった。
おかげでうちの近所は最近シーンと静まり返っています。
デブッダ
で、思ったんですよ。
近所のおばあちゃんが緩和ケアの病院に旅立って行った。
もう1人のおばあちゃんが歩けなくなり老人ホームへ行った。
こんな遠縁の人の不在でも心にポッカリ穴が空くくらいだから、親しい友人や家族が死んだらどれほど大きな穴が空くのだろう?と。
瞑想を習慣にしているから心に穴が空いたからといって取り乱すわけではない。
時間が過ぎれば新しい環境に慣れ、穴が塞がっていくこともわかっている。
でも心にぽっかり穴が空くのは避けられない。
そして穴が塞がっていく時間というのはどうしても必要になるんだなと、そう思ったのです。
だから自分の周りの人が何かを失って心に穴が空いている時は「癒えるまで時間がかかるな」と考え、そっとしておくことが大切なのだと思います。
- 癒えない傷はない
- でも癒えるには時間が必要である
と思った朝でした。
最後までお読みくださりありがとうございました。
イカさん
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