電気工事士の資格を取ろうと思って勉強をはじめた
なんで資格を取ろうと思ったのか少しだけ説明するとこういうことだ
今年は仕事らしい仕事もせず読書と瞑想ばかりをしているのだけど、友達がボロ家を購入して直して貸すという事業をやっていて、そのリフォームのお手伝いを週に1〜2度やっている
そんな日々を送っていたある日、ボロボロの玄関ドアを修理することになった
木製の重いドア。雨風に打たれ続けて塗装は剥がれ、バイオハザードのドアみたいになっていた
下のほうが腐って穴が空いていた
腐った部分を切り取り、新しい木材をはめて修理したところ、見違えるようにきれいになった
この作業を終えた時、「こういう作業おもしろい…」と思った
ボロボロで使えないように見えるものが再生することに喜びを感じたのだと思う
それで自分でも物件を持ってみたくなったのだけど、僕は元来なんでもやってみたくなってしまうタチなので、普通なら業者さんにお願いすることの多い
- 屋根の修理
- 電気配線の修理
- 水道周りの修理
などもやってみたくなってしまった
屋根や水道は資格がなくてもYouTube動画なんかを見ればやれるが、家庭用の電気配線は資格がないと扱えない
そもそも家庭用の100ボルト電圧というのは間違えて触ってしまうと筋肉が硬直してしまって感電死してしまうこともあるのでうかつにはできないし、配線を間違えたら火事を起こしたり家の中の設備をすべて壊してしまうこともある
なのでちゃんと学び、資格を取ってからやろうと思ったのだ
僕は稼ぐのは苦手だが勉強するのは好きだ
得意ではないが好きだ
20代後半には英語の勉強をしていたし、30代後半にはプログラミングの勉強をしていた
わけわかんないところからスタートし、もがいているうちになんとなく慣れてきて、気がつけば最初は難しいと思っていたことが簡単になっている
そういうプロセスが好きなのだと思う
諦めなければちゃんと答えてくれるところに魅力がある
そんなわけで電気工事士の勉強をはじめた
テキストが届いた
イラストがたくさんあって楽しそうである
イラストも嬉しいが、そもそも興味のあった分野なので学ぶのが面白くてしかたない
知ったことをツイートしながら勉強すれば、アウトプットにもなるし、電気に詳しい人がコメントしてくれたり、同じく勉強中の人が共感してくれたりするので余計に楽しくなる
学習プロセスをツイートするのは楽しく学習するうえでのコツだと思う
しかし1章で早くも壁に当たった
「最初の3章は簡単なパートで満点目指せます」みたいなことが書いてあったのに全然頭に入らなくなってきた
プログラミングにしても英語にしても勉強というものは必ず壁に当たるものだ
慣れない言葉がたくさん出てくるので、それらの言葉に慣れるまでは頭がやたらと疲れる
本当はただ単に言葉や新しい概念に慣れていないだけなのに、まるで自分が理解できないような錯覚にとらわれる
勉強経験が浅いとそういう錯覚に翻弄されて諦めてしまうこともあるだろう
でも僕はおじさんだからそんな経験は何度もしているので簡単にはあきらめない
「どうせ時間が経てば慣れるんでしょ?」
「ある時突然わかるようになるんでしょ?」
とタカをくくっている
壁にぶつかったら別の道を探してみればいいのだ
書籍の学習で壁に当たったら別の書籍をやってみたり、オンラインの教材を探してみたりする
今はたいていYouTubeでやたら分かりやすい教材が見つかる
しかもそれらが無料なんだからなんて恵まれた時代なのだろうと思う
電気工事士の教材も素晴らしい動画があったのでさっそく見てみた
面白い
わかりやすい
それまで書籍で勉強していたのがバカらしく思えるほど分かりやすい
でもやたら分かるのは書籍ですでに学んだことだからだ
もし書籍をやっていなかったら新しい単語に面食らっていたと思う
そんな感じで勉強していたらフォロワーさんからコメントをもらった
試験に受かりたいだけなら問題集の答えだけ覚えれば大丈夫とのこと
わざわざ本格的な回路図の読み方など知らなくてもいいとのこと
どうせ複雑な電気配線をイチからやることはないのだから
本当にそのとおりだなと思った
僕がやりたいのは簡単な電気配線のDIY
工場で高圧電流の電気設備を設置するわけでもないし、新築の家の電気配線をすべて行うわけでもない
でも、、、、
僕はそう言われても勉強せずにはいられなかった
ちゃんと理解したいのである
ちゃんとひと通り理解したうえで試験問題に望みたい
「こういう理由だから答えはこれ!」
そんな風に納得して答えを選ぶことが喜びなのだ
思い起こすとこの遠回りするクセは学生の頃からはじまっていた
中学・高校では中間テストや期末テストというものがあったが、たいていはヤマというものがあって、よく出題される部分を重点的に覚えておけば高得点が取れる仕組みになっている
しかし僕はそういう要領の良さがまったくなかった
「この先生はこういうところを出題する傾向があるよね」
そういう目で授業を受けていれば「この辺試験に出そう」とかメモすることもできるのに、まったく思いつきもしなかった
なので教科書を死ぬほど苦労して丸暗記する子供だった
試験当日にはヘトヘトになっているが、丸暗記しているのでそれなりに点数を取ることができた
ちなみに僕は記憶障害の気があって、人よりも記憶することが下手である
せっかく記憶したことも人より早く消えてしまう特性も持っている
性格は変わらない
そう思っている人もいると思うが、僕は性格はじゃんじゃん変わると思っている
だから性格診断なんて全然アテにならないと思う
以前ストレングス・ファインダーという自分の強みを知るツールが流行ったことがある
テストを受けてみたが、答えに迷いまくりであった
どの時点の自分として答えればいいのかわからないのである
「自分は〇〇だと思う」という質問に対して4段階の選択肢から答える
- 全然当てはまらない
- 当てはまらない
- やや当てはまる
- かなり当てはまる
10年前の自分ならかなり当てはまるが、今の自分にはまったく当てはまらない
そういう質問が多量にあった
ストレングス・ファインダーを受けた後に思った
「自分の性格ってずいぶん変わったんだな」
昔の友人が今の僕を見たら別人のように思うんじゃないかと思う
しかし今回のこの件のおかげで変わらない自分も発見した
要領の悪さ、回り道したがる性格は全然変わっていなかった
きっとこの性格は僕のコアとなる性格で本質に近いものなのだと思う
変わらない本質があって、その周りに変わりうる性格がたくさんある
短気で焦りがち、大げさでやたら感情の起伏の激しかった自分はいなくなったが変わらぬ自分は残っている
この変わらぬ自分が執着なのであったなら、将来苦しみにつながるから捨ててしまってもいいと思うけど、そうじゃないのであればこれからも仲良く付き合っていきたい
この愚鈍さは何かをスピーディーに得ることはできないかもしれないけれど、実直さや安心感を人に与えるというメリットを生んでいるはずだと思う
そう信じたい
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