イカ太郎
ブログを初めてから1年半が経ちました。
この記事はもともとブログをスタートしてから1週間くらい経った時に書いたものだったんですが、あまりにも読みづらいので書き直しています。
こうして書き直してみると
「1年半でずいぶん文章を組み立てる力がついたものだなぁ」
と思います。
スタートした頃はは記事の構成なんて考えることはできませんでした。
ただひたすらに思っていることをつづるだけ。
それが見出しをつけて見やすくできるようになり、合間に画像やリストを挿し込んでリズム感をつけたりすることができるようになったのです。
ブログをはじめて本当に良かったと思います。
最近では会う人に「ブログ読んでます」と言われることも増えました。
自分では書いたものが人の役に立っているのか分からないから、そういう言葉を聞くととてもうれしく思います。
さて、では「僕がブログをはじめようと思ったわけ」、、はじめましょうか。
きっかけは一本の記事だった
僕がブログを始めようと思ったのはこの記事を読んだからです。
「裸足とワラーチの日々」というブログ。
僕の「裸足と瞑想の日々」という名前はここから来ています。
書いているのはmanさん。
日本における裸足ランニングの第一人者で、その明るい性格とチャレンジングな姿勢から「裸足のレジェンド」と呼ばれています。
ブログの可能性を知った瞬間
manさんの書いたこの記事を読んだ時、少し大げさかもしれませんが魂が震えました。
読み終わってしばしボー然としていたことを覚えています。
この記事はmanさんが伝統あるトレイルランニングレースに裸足で挑戦し、見事完走を果たすというもの。
自動車道と違って信号がないため、長距離のルートが取りやすい。
100km以上のレースなども多くある。
70kmの山道を裸足で夜を通して走り続けるという「前例のない挑戦」がどういうものなのか。
弱気になる心。
ハセツネというレースを生んだかつての偉人・長谷川恒夫氏との心の対話。
自分の弱さと葛藤をすべてさらけ出し、悩み苦しみながらもやり遂げる姿に感動してしまったのです。
でもブログをやろうと思ったのはこの記事を読んだときではありませんでした。
でも「ブログは人の心を揺さぶることができる」ということを知った瞬間だったのです。
ツイートの日々がブログにつながった
裸足ランニングについてツイートする日々
ブログやYouTubeで投稿することは「発信する」とも言われます。
それまで僕はアプリ開発やプログラミングに関することを情報発信していたのですが、この頃から内容が変わってきます。
裸足ランニングを模索する日々をツイートするようになったのです。
このとき僕の投稿スタイルを変えたのもmanさんでした。
彼のツイートは情熱的。
裸足を通して気づいたことを、ほとばしるような情熱的な言葉でつづります。
生々しい心の声がズバズバ刺さってくるのです。
気がつけば僕も感情をツイートで表現するようになっていました。
嘘のない言葉をつづりたい。
不食実験のはじまり
そしてしばらくして僕は不食の試みをツイートするようになりました。
この頃からたびたびコメントをもらうようになったのです。
僕はツイッターの世界でこういう人になっていました。
裸足で走り、食べずに生きる人
そのスタイルに興味を持つ人が増えてきた結果だったのだと思います。
カフェでの朝
この頃僕はiPhoneアプリプログラマーとして渋谷の会社にお世話になっていました。
13年ぶりの会社勤め。
超朝型なので5時に家を出て7時過ぎには渋谷に到着。
始業までの2時間ほどの時間をカフェで過ごしていました。
ある日カフェの窓際の椅子に座り、朝の太陽を浴びながら、ガラスの外の植物を眺めていました。
不食実験中だったから、ボーッとしながらカラダの心地よさを観察していたのです。
そして少し時間が経ったとき、突然あるアイデアが頭に浮かびました。
「ブログをやりたい」
仕事をやめて裸足ブロガーになる
ちょうどこの頃ひとつのプロジェクトが終わって、仕事も忙しくない時期でした。
フリーランス契約のプログラマーだったので、契約を早期終了してもらい、ブロガーになることを決めました。
「裸足ブロガーとして俺は生きる!」
おわりに
これが僕がブログを始めようと思ったわけです。
いま思えばブログを始めるために仕事をやめたのは馬鹿な決断だったと思います。
あれから1年半たった今でもブログでの収益は数千円しかないのですから。
そのため1年半で2回大きな財政危機を迎えました。
稼げるスキルであるプログラミングも捨ててしまいました。
おかげでずっと貧乏です。
プログラミングでも食えるようになるまで2年かかりました。
僕はうまくいくまでに時間のかかるタイプなのです。
そして仕事をしながら副業をするような器用なことはできるタイプではないのです。
これは僕が僕である以上避けられない運命。
魚が水の中でしか生きられません。
僕も僕の特性を生かして生きていくしかないのです。