自分がブログをやることの意味 – 僕らが生きることの意味

昨日は1日ブログのリニューアル作業をしていた。

はてなブログからwordpressへの移行。

見た目を整えたり必要な機能を追加したり、今まで書いたいくつかの記事を移し替えたり。

その中で「プロフィールを作る」という作業があった。

本当はほんの短いプロフィールを書くはずだったのに、思わぬ長文となった。

もはや半生を綴るようなものになった。

詳しすぎるプロフィール – 子供時代から36歳でアプリ開発者になるまで

やることリストはたくさんあって、こんなことしてる場合じゃないのにって思っているのにキーを打つ手が止まらない。

かつての自分を思い出しながらなるべく簡潔にドンドン綴っていった。

2時間くらい我を忘れて書いていたら、さすがに疲れを感じたので近くの公園まで散歩に行くことにした。もちろん裸足で。

 

裸足で歩くと実は疲れが取れやすい。

足の裏に圧力を与えると血液を上に押し上げる力が働くから血行が良くなる。

そして何より頭から体へ意識を移行してくれるから疲れた頭をラクにしてくれる。

アップルの創業者スティーブ・ジョブズは若かりし頃、いつも裸足で歩いていたという話があるし、とにかくよく散歩したという。

彼の直観の強さや創造性はそういうごく普通の習慣から生まれたものに違いない。

裸足で歩けば誰だってそういう能力が育つようになっている。同じ人間だから。

 

思いつきというものは本当に前後の脈略なくやってくる。

公園に入り、ベンチに座るおじいさん、清掃をする公園関係者を見ていたらパッと頭の中に言葉がよぎった。

人の心を動かす

自分がブログをやることの意味だった。

そうか!そうなんだ!

自らの閃きに驚いた。

先週末に出会ったやぎぺー・池ちゃんという2人のスーパーブロガーを思った。

やぎぺーは持論の展開によって若い人達を鼓舞し、池ちゃんは田舎開拓というコンセプトで都会で働く人たちの心を揺さぶる。

 

これはブログに限定した話ではなく、全ての仕事を素晴らしいものに変えるための基本かもしれない。

仕事はなんのためにやるのか。

お金を得るため?

いや、お金を得るための仕事だけが仕事じゃない。

生きるということ、生き様そのものが仕事なのだ。

 

僕らの体は絶え間なく臓器や筋肉や脳を動かすという仕事をしている。

だから僕らは感覚という五感という生きている間しか感じられないものを享受している。

生きていれば必ず誰かと関わる。

人と会えばこちらも何かしらの五感が働き、相手も何かしらの五感が働く。

何かを感じる。

そういう一瞬一瞬が本当はかけがえのない人生という時間の一瞬だ。

 

もっともっと感じよう。

僕らは今生きている。

生きているということは感じること。

もっともっと感じよう。

死が訪れるその日まで。

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