ネガティブな経験が僕らに与えてくれること

 

人とメッセージをやりとりする時、以前は本当に時間がかかった。

「これでいいのかなぁ?」

と思って書き直して、それでもずっと疑問があった。

散々考えた挙句、

「よし、今度こそバッチリ!」

と思って送った後も、返事が届くまでなんか落ち着かなくてソワソワしたり、

送った後で

「あ〜、やっぱりこう書いておけばよかった〜!」

とか思ったりして、すでに送信済みでどうしようもなかったり、開封マークがすでに付いてしまっていて諦めざるを得ないような状況もあった。

 

その心理の奥にあったもの、

それは

人によく見られたい

人を傷つけないようにしたい

という思いだった。

 

ところが今では返信内容に迷ったりすることはない。

心の中にあるメッセージを文字にし、送るだけ。

 

ずいぶん変わったものだなぁと思う。

変わったのは何か?

さっき言った心理がなくなっただけにすぎない。

 

人によく見られなくてもいい

 

人を傷つけないようにしたいという思いは今でも持っている。

ただ、どんな言葉を送っても傷つく人は傷つくし、気分を害しやすい人は気分を害してしまうものだ。

これは人の特性なので、僕にどうこうできるものではない。

 

人を変えることはできない。

人は自分の意思で変わる。

その意思を変えるのは並大抵のことでできるものではない。

時が来なければ人の考え方なんて変わるものじゃないのだから。

 

ほかにも変化があった。

堅苦しい言葉を使わなくなった。

ですます口調は減り、「〇〇だよー!」「〇〇だねー!」という口調が大幅に増えた。

本当にフォーマルなシーンでなければですます調で書くことも少なくなった。

 

心に浮かぶ言葉をそのまま綴る。

これほど楽なことはない。

頭を使うこともない。

気も使うこともない。

本当に楽だ。

ポカポカの天気の日に広くて静かな公園を散歩している時のような、そんな気分でいられる。

 

ありのままの自分の言葉で表現すること。

残念ながらそれにはリスクが伴う。

嫌われたり、相手の気分を害したり、違和感を持たれたり。

そう言ったことが起こりうる。

しかし、今僕はこう思っている。

それはそれでしょうがない。

 

せっかくの関係がダメになってしまうかもしれない。

チャンスをダメにしてしまうかもしれない。

そう思って気を使ってきたけれど、もうそういうのは疲れた。

疲れたから

ダメならダメでしょうがない

そう思うようになった。

そして気を使うのはやめた。

 

そうして自分の送るメッセージを思いつくままに送るようになって気がついたことがある。

気を使っても使わなくても結果はあまり変わらないということだ。

むしろ以前よりも人間関係がスムーズになったとさえ思う。

 

きっと気を使っていた頃は、人の顔色を見るような態度が顔にも文字にも表れていたのだと思う。

他人のそういう態度を見たときどう思うだろうか?

やっぱりこっちも気を使ってしまう。

デリケートな人だと感じるから言葉を選んでしまう。

 

今でも僕の中にはかつての自分がいる。

デリケートで傷つきやすくて人の顔色ばかり見ていた自分が。

でも彼はもう僕の表の方に出て来ることはない。

僕の中でひっそりと今の僕を見守ってくれている。

若いくせに「よかったね」って笑ってる。

 

昨日の夜、こんな本を少しだけ読んだ。

 

今いるコワーキングスペースに「人の特性を生かす手助け」をしている起業家がいて、彼が一生懸命やっているのを見て、読んでみようと思ったのだ。

本の中にいろんなタイプの人間像が文字で描写されていて、その中に「一番自分に近いパーソナリティーを選ぶ」というドリルがあった。

9つのタイプ。

どれもこれも自分の中にあるキャラクターだった。

今の自分に近いものもあったし、過去の自分に近いものもあった。

9つのうち8つがあまりに自分に該当するのでこう思った。

 

どれが本当の僕なのだろう?

 

今の自分だけ自分なのだろうか?

過去の自分も含めて自分なんだろうか?

 

そう考えるとそれ以上読めなくなった。

僕みたいなおっさんをカテゴライズするのは難しすぎる。

 

人は一生を通してどんどん変わっていく。

ある程度の年齢になると頑固になったり臆病になったりして変わりづらくなるっていうけど、それでも経験が人の考え方を変えていく。

 

経験を通して形成されていった僕の中にあるいろんなパーソナリティは僕の宝物だ。

増えれば増えるほどより多くの人の気持ちに共感できるようになる。

 

そんな多様なパーソナリティーを形成していくきっかけになるのが経験だ。

特にネガティブな経験。

うまくいっているときは人は変わる必要性を感じない。

でもうまくいかないと変わらざるを得なくなる。

そう考えるとネガティブな経験や困難な状況に直面することはとても大事なことで、パーソナリティーという宝物を増やすチャンスであるとも言える。

 

僕は何才まで生きるのだろう?

人生100年時代と言われるようになった。

もし100才まで生きるとしたらまだ半分以上も時間が残ってる。

 

これから先どんな経験が待っていて、どんな困難が待っていて、僕はどんなパーソナリティーを手に入れるのだろう?

そう思ったら、

困難なことが前よりちょっと楽しみになった。

 




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