我が家では、親子3人が川の字になって眠る。
僕ら夫婦が両サイドで、2歳の小さな娘が真ん中。
たいてい娘は奥さんに抱きついて眠るのだけど、どういうわけか今日は僕に貼りついてきた。
「抱っこして」と寝言を言っているので腕を回してあげたが嫌がる。
抱かれ心地が奥さんとは違うらしい。
「せっかくパパがいるのだからパパに甘えたい」と思っているのだろうけど、感触の違いに不快感を感じているのではないかと思った。
(僕は今、横浜と千葉の2拠点生活をしていて、週に2日か3日しか自宅にいない)
貼り付いてきては泣き、奥さんの元へ向かう。
そんなことを3回ほど繰り返したところで目が覚めてしまった。
人の顔色ばかり見ていた僕が変わったわけ
時間は夜中の1時。
布団に入ってから4時間は経っていたので「まぁ起きちゃってもいいか」と思い、そのまま起きた。
カフェオレを飲もうと思ったけど、牛乳が切れていたので、コンビニまで散歩に出かけることにした。
歩くということは瞑想に近い。
思考を整理し、ゴミとなった思考は破棄される。
距離を伸ばせば脳内の大掃除ができる。
もうすぐコンビニに着く、という場所でふと思った。
「ずいぶん図太くなったな、俺」
落ち着き払っていて気持ちは平穏で、ちょっとしたことでは動じなくなった自分に気がついた。
そしてかつての自分を思い出した。
なんでこんなに変わったのだろう?
裸足で暮らすようになったから?
確かにそれもあるだろう。
でもそれだけではない気がした。
そしてピンときた。
親になったからだ!
よく「女性は母親になると子供を守るために図太くなる」と言われる。
しかしそういう変化は女性だけではない。
「男は子供を持つとおっさんになる」
おっさんと一つの単語になってるけど、おっさんにも色々いる。
独身のおっさんもいれば、既婚者のおっさんもいる。
おっさんというのは状態を表した言葉だ。
恋愛市場から抜けたことで変わった視点
結婚し、親になり、おっさんになったことで、僕はだいぶ変わったと思う。
それまで女の子に向いていた僕の目は、家族との将来に向くようになった。
ネットや街に溢れる性を刺激するマーケティング素材には全く興味がなくなり、性欲に振り回されるようなこともなくなった。
娘と一緒にいて幸せそうな奥さんを見ると「結婚を決断してよかったな」って思う。
楽しそうに暮らしている娘を見て「子供を作る決断をしてよかったな」って思う。
今僕がしたいのは、このふたりの笑顔をもっと見ること。
親が子供のためにできる最も大切なこと
「親が輝くこと」
これ以上の教育はないと僕は思っている。
これは僕の親父が与えてくれた唯一で最大のギフトだったから。
関連:父親がくれた最高のギフトはモノでも思い出でも教育でもなく〇〇だった
だから僕は娘のために輝きたいと思っている。
生きることの幸せをもっと感じたいと思っている。
その姿を見て娘が「人生って楽しそうだな」って思ってくれれば、父親のくれたギフトを娘にも渡せたことになるのだろう。
結婚して親になり、恋愛市場から抜けることで得られたもの
今回の記事のタイトルは「結婚して親になり、恋愛市場から抜けることで得られたもの」とした。
さて、僕は何を得たのだろう?
答えはこれである。
結婚するまでは多くのことに必死だった。
- 恋愛対象探し
- 人生の目的探し
- 夢探し
- 生きがい探し
でもどこまでそれを追い求めればいいのか分からなかったし、際限がなかった。
でも今は違う。
娘と奥さんが幸せに生きるために”必要なだけ”頑張ればいい。
それ以上に求めてもかつてのような無限地獄にハマるだけ。
もっともっともっともっと…
どこまで追いかけてもゴールの見えない世界に。
人間にとっても最も苦しい罰は、地面に穴を掘り、その穴を埋めるということを無限に繰り返させることだと聞いたことがある。
明らかに何の意味もないことをゴールを知らされることなくやること。
たとえ100万回という途方もない回数だとしても、終わることが可能な数が提示されれば人は頑張ることができるのだ。
僕は結婚し、恋愛市場から抜け、親になったことで、目指すべきゴールを手に入れた。
自分が満足できるハッキリとしたレベルを。
「男にとって結婚は墓場」
そういうことも言われるけど、
僕はハッキリ断言できる。
考え方次第で結婚は墓場にはならない。
むしろ目指すべき場所にスポットライトが当たり、よく見えるようになる。