「頑張らない」の真意

今朝は4時半に目が覚めた。

コワーキングスペースに来てみたら、いつもの朝活メンバーとは違う子がいた。

20代前半の女の子。

穏やかで寡黙な子だ。

PCに向かって黙々と作業していた。

「ずっと起きてたの?」

 

昨日の夜、僕は11時過ぎまでコワーキングスペースにいた。

コワーキングスペースにあった本「ザッポス伝説」が面白すぎて、夢中になっていたら遅くなってしまった。

 

いつもなら8時くらいには切り上げて眠るのに。

 

「さすがに遅くなったから寝よう」

そう思って帰る準備をしてしている時にも彼女は作業していた。

徹夜したんだろうなと思った。

「生活のリズムがめちゃくちゃなんです」

と彼女は笑顔で言った。

 

それから少しおしゃべりした。

このコワーキングスペースの住人になってもう1ヶ月以上になるけど、あまり彼女とは話したことがない。

寡黙な子だから話す機会があまりなかった。

「それほどおしゃべりは好きじゃないのかも」とも思っていた。

 

朝の時間は不思議だ。

まるで車でドライブしている時のように心が開く。

僕の経歴が謎だと彼女は言い、そして自分の今の状況についても話してくれた。

コワーキングスペースの運営の手伝いをしながら、少しだけライティングの仕事もしているけど、それほど稼いでいないから「今でもニートみたいなものです」と言っていた。

そして最後に言った。

「がんばります」

 

僕は「がんばらなくていいのに」って思った。

 

そんなことがあったので、今日は「頑張る」という言葉について考えてみたい。

 

頑張るとは

頑張るというのはどういうことだろう?

ぼくは「頑張る」という言葉をこんな状態だと考えている。

「自然に出る力以上の力を出そうとすること」

 

人には状態というものがある。

頑張れる時、頑張れない時がある。

しかしこう思う。

「頑張る必要はない」

「自然に出る力だけ出せばいい」と。

 

頑張れば疲弊する

頑張ると疲れる。

疲れが蓄積していって、ある一定の水準を超えると頑張れなくなる。

燃え尽きたり、体が硬くなったり、頭が回らなくなったりする。

ボーッとしちゃって何もできないこともある。

休まざるを得ない。

 

しかし休めないこともあるだろう。

やる気もないし、頭も回ってないのに頑張る。

これを繰り返すとどうなるか?

生きる力を失うことになる。

そして生きる力が一定以下になるとうつ状態になるのだと思う。

 

うつ病経験者のしなやかな強さ

アプリ開発を始め、コワーキングスペースで作業するようになってから6年が経つ。

その間、色んな人と会い、たくさん話したが、少なくない人達がうつ病の経験者だった。

 

会社で働けなくなり、休職する。

最初は何もできない。

体が動かない。

死にたくなる。

大変な時を過ごすそうだ。

 

しかしそんな時間を過ごすうちに生きる力が戻ってくる。

生きる力が戻ってくると、

「コワーキングスペースで何か新しいことをはじめよう」

「社会復帰の準備をしよう」

と思えるらしいのだ。

 

彼らはみなデリケートだ。

慎重に言葉を選んで話す。

どうしてなのかな?って思ったけど、きっと理由はこういうものなのだと思った。

「もう2度とあんな思いはしたくない」

 

彼らは必要以上に頑張らないように見える。

ガンバリが蓄積しないようにうまく調整する。

危険から逃げる。

そんな技術が身についているように見える。

 

つらかったかもしれないが、一生使える素晴らしい道具を手に入れた人達。

僕には彼らがそんな風に見えた。

 

突出した結果を出す人はがんばっているのか?

頑張りを否定するとこんな声が聞こえそうだ。

「頑張らないでどうする!」

「頑張らないと突出した結果は出せないのではないか?」と。

僕はそんなことはないと思う。

むしろ頑張ったら突出した結果は出せないと思う。

肝心なところで燃え尽きるから。

 

突出した結果を出している人は頑張っていない

自然に出せる力のレベルが高いだけ。

 

なぜ自然に出せる力が高いのか?

自分の好奇心に突き動かされているからだ。

好奇心ゆえに追求したい思いが高まり、

結果として常人には出ないような力を出せてしまう。

 

夢中になった時のパワーはすごい。

そう簡単に疲れない。

誰だって一度は経験があるはずだ。

何かに夢中になった経験が。

目指すべきは夢中な状態なのであって、頑張る状態になることではないと思う。

もし自分が「頑張っている」と思ったなら、その状態を疑ったほうがいい。

「何かが間違っているんじゃないか?」と。

 

少し立ち止まり、ペースを落とそう。

それまでの自分のやり方を考え直そう。

もしかしたらずっと努力してきたことを諦める必要が出るかもしれない。

方向修正しなければならないかもしれない。

そうなったら、こんな葛藤に襲われるかもしれない。

「今までやってきた努力が無駄になるのか…」

 

大丈夫。

無駄にならない。

思い切って方向修正しよう。

やってきたことは方向修正した後に繋がる。

connecting the dots

点と点は繋がる。

やってきたことは無駄にならない。

費やしてきた時間で学んだ教訓は消えないのだから。

 

方向修正が遅すぎるという心配もしなくていい。

80歳を過ぎてアプリ開発者になったおじいちゃんがいる。

おばあちゃんもいる。

そんな日本人のおばあちゃんはアップルの新製品発表会WWDCでティムクックCEOから紹介された。

『MASAKO!!』

 

「歳を取りすぎているから新しいことなんて…」

そんな風に思わずに、好奇心のままに動いたからこそ彼女は世界的なイベントで紹介されたのだ。

never too late

遅すぎるということもない。

 

言葉のちから

「がんばります」と言っておけばいい。

そんな状況もあるだろうと思う。

過度に頑張りを要求するような人と接する時、形だけでも「がんばります」と言えば丸く収まる。

しかし、本当にそれでいいのだろうか?

僕は疑問だ。

そして実際に「がんばります」と僕は言わない。

相手に不満を持たれたとしても言わない。

適当に笑って流す。

大切な人だったら、ちゃんと言わない理由を話す。

 

僕が「がんばります」と言わないには理由がある。

言葉の力はあなどれないと思っているからだ。

 

「がんばります」という言葉だと、言葉の力がどれほど影響力を持っているのかイメージしづらいから、他の言葉に置き換えてみる。

「どうせ私なんて…」

「無理に決まってる」

そういう言葉ならどうだろう?

言葉が人間に与える影響をイメージできたのではないだろうか?

 

「どうせ私なんて…」

たかが言葉だけど、この言葉を発するのと発しないのとでは大きな差が出ると思う。

必要以上に自分の可能性を消してしまう。

エネルギーを落としてしまう。

「無理に決まってる」

これを口にしたら、できる可能性のあることもできなくなってしまう。

 

「思っていることを飲み込んだほうがいい」と言っているわけではない。

思っている言葉は口に出した方がいい。

自分の思っていることを口にしないと自分の中で歪みが生じる。

本当の自分の気持ちを感じる能力が落ちる。

自分が何を思っているのか分からなくなってくる。

そんな風になるくらいなら言葉にしたほうがいい。

 

対して「がんばります」はどうなんだろう?

本当はそんなこと思っていないのに口にしていないだろうか?

 

「がんばります」

そう口にした時の体の状態を観察してみてもらいたい。

心ではそう思っていなくても体に少し力が入るはず。

力み。

言葉が体を操作してしまっている。

 

僕は心と体を乖離させたくない。

発する言葉が自分の心とちゃんとリンクしているか気を配ろうと思う。

 

おわりに

僕のおばあちゃんはうつ病による自殺で亡くなった。

あの時僕は社会人1年目。

入社して1ヶ月後のことだった。

やる気満々で働いていた僕にとって衝撃の出来事だった。

うつ病とのはじめての遭遇。

今ではうつ病というのは多くの人が知っている言葉だけど、あの頃はまだ社会に認知されていなかった。

それから鬱という言葉にアンテナが立つようになった。

 

そしてサラリーマン4年目の時、埼玉から福岡に転勤し、僕はオーバーワークでうつ病に近い状態になった。

会社にいられなくなり、会社を辞めた。

人生の全てと言ってもよかった仕事を失い、方向性を失った僕は、次の夢を探そうとした。

いろんなアルバイトをした。

しかしどれも全然続かなかった。

頑張って燃え尽きて人とトラブルになって辞める。

そんなことを繰り返した。

気がつけばどんどん自尊心を失っていた。

 

惨めで悔しくて仕方がなかった。

あまりの不甲斐なさに気分が落ち込み、一日中ベッドから出られないこともあった。

死にたいとは思わなかったけど、死んだらどんなに楽だろうと思った。

そんな僕を救ってくれたのは本屋で見かけた一冊の本だった。

写真を見るうちにスーッと楽になっていく感覚があった。

写真に写る死者たちに救われた。

関連:死は親からの最後のギフト? – 人の死は一概に悪いことじゃないかもしれない

 

実はおととしの終わりまで僕は「頑張っていた」。

自分の心の声が聞こえず、頭で損得を考えて動いていた。

アプリ開発者として、うまくいった時期もあったのに、結局最後は破綻した。

そして2017年、僕は生き方を変えた。

頑張ることはやめた。

もう2度と頑張ることはない。

 

とはいえ怠惰に生きるわけではない。

自分の状態を観察し、その時自然に出せる力を精一杯出そう。

そう思っている。

 

頑張る必要はない。

与えられた命を精一杯生きよう。

 

死ぬときに笑えるように。