OKを出そう – 自分を否定しちゃう人に伝えたいこと

 

おはようございます、イカ太郎です。

停電してます。

ただ今朝の4時半。

台風で風がすごいです。

停電した時、家の外で瞑想をしていたんですが、

目を閉じていたら目の前がバッと明るくなり、あれ?と思って目を開けたら街灯はすべて消えていて真っ暗になっていました。

真っ暗な町っていいですね。

いつもと違う感じが味わえる。

でも部屋に戻って英語の勉強を再開しようかと思ったら、電気がつかないんですよ。

停電なんで当たり前なんですけど。

じゃあ今僕はどうやって明かりを取っているかというと、こんなやつを使っています。

充電式のあんどん。

無印良品で以前買ったやつ。

すごい便利。

停電になるとパッと光るようになってるんです。

「あ、停電したんだ」ってすぐわかります。

 

読書が大好きな奥さんは子供を寝かしつけたあと、真っ暗な中で本を読むのですが、その時にもこのあんどんの光で本を読んでいます。

ふんわりとした優しい光でいい感じです。

もし気になったら試してみてください。

キャンドルよりも気軽に夜の時間を楽しめますよ。

 

さてさて、もうかれこれ2週間近く雨ばかりでしたね。

でも天気予報によると、今日の午前中で雨の日々は終わりみたいです!

明日からは秋晴れ!

やったね!

雨ばかりの日が続いたから、晴れの日が余計に嬉しい!

終わってみればすべて良し。

大変だったこと、辛かったことも時間がたってしまえば自分の糧になってたりするものです。

その時は苦しかったけど、後になってみれば良い思い出。

仕方なかったよね、あれはあれでよかったんだよねって思えることの方が多い。

そうそう、時間が経てばたいていのネガティブなこともOKなんです。

時間が経つって素晴らしい!

歳を取るって素晴らしい!

というわけで、今回は「OKを出す」「否定しない」ということについて書いてみようと思います。

どんな話になるのかな?

それでははじまりはじまり〜♪

 

自己否定するタイプの人間だった僕

生きているといろんなことがありますよね。

– 気分が乗らない

– 体調が悪い

– マナーの悪い人を見かけた

– パワハラを受けた

– 大切にしていたものが壊れた

– 財布を盗まれた

– 信じていた人に裏切られた

– 努力しているのに結果が出ない

– 人を傷つけてしまった

挙げだしたらキリがない。無限にある。

幸せに生きている人とそうではない人とでは頻度の違いはあるものの、好ましくないことは少なからず起こるものです。

 

そんな時、どんな風に反応していますか?

イヤだなぁ、って思うのが普通なんじゃないでしょうか?

 

僕は自己否定するタイプの人間でした。

すべて自分のせい。

自分が変わればこんなことは起こらなくなるはず。

そんな風に思って、未熟な自分を責める傾向がありました。

自分を責め、そして落ち込む。

 

自分の価値観が正しいと思っていた日々

理想主義的で正しいことが好きな若者でした。

今でもそうかも。

理想主義的で正しいことがすきな中年w

 

物事にはあるべき姿があると思っていて、そうじゃないと否定してしまうようなところがありました。

だからあるべき姿になっていないと思うものを見ると、

「それは違うだろ!」とか「どうしてこうならないんだ!」なんてことばかり思ってて、

時にはそれを言葉に出してしまったり、直接出せない時には皮肉を言ってしまったりしてました。

とにかくいつもモヤモヤ。

苦しかったです。

自分の周囲にある物、人、組織、社会、出来事、それらの大部分が自分の理想とは違っていたから。

 

なんとかしたい、なんとかして変えたい、そんな風に思って行動もしたりもしました。

To make a better world.

より良い世界を作るために。

“自分にとって”より良い世界を作るために。

 

でも良い世界って人によって違うんですよね。

自分にとって良いことが他の人にとって良いわけではない。

むしろ悪いこともある。

自分が良い世界を作ろうとしてやったことが、ほかの人にとっての悪い世界を作ってしまうことにもなるわけです。

だから、良い世界を作れたと思ったのに、全然ほかの人が喜んでない。

そんなことだってありうる。

感謝されるどころか非難されることだってありうる。

そうなると自分が良いことをしていると思っているのに、気がつけば誰も周りに人がいない。

孤独。。

そんなことにもなるわけです。

 

理想に燃えた20代・30代の僕の半生は、そんな状態をぐるぐる回り続けるような半生でした。

 

大切なのは善悪じゃなかった

でもね、そんな風にずっとうまくいかなかったから、

どうしてうまくいかないんだろう?

どうして人に喜んでもらえないんだろう?

っていう疑問がずっとありました。

 

なので自問自答し続けてました。

本から得たアイデアを試してみたり、自分を観察したりして。

そんなことを何年も続けているうちに分かってきたんですよ。

どうしてうまくいかないのかが。

「良い悪い」「正しい・正しくない」「こうあるべき」

そういうことをベースに物事を見ていると、

 – 人相が悪くなる

 – しかめっ面になる

こいつが問題だったんです!

顔の問題!

 

筋トレや勉強などは自分だけで完結するから問題ないけど、人が絡むと途端にうまくいかなくなる。

なぜなら人相が悪いから。

しかめっ面だから、他人は気持ちよく同意できない。

そうなると自分がやりたいことがうまくいかない。

うまくいかないから無理やり人に強要したりしてしまう。

そうなるとますます他の人は動きたくなる。

強要しない時は交渉術のようなテクニックを使う。

ある種の強要。

でも強要には無理な力がかかる。

結果自分も疲れるし、相手も動かされちゃってるだけなので、後になって不満感が出てくる。

無理な力をかけると反作用もかかっちゃうんですよね。

前進と後退を繰り返すので前に進まない。

徒労感がハンパない。

そうなると無力感を感じるし、表情も暗くなる。

負のスパイラルにハマっちゃうんです。

 

だからね、ある時僕は思ったんですよ。

「もう善悪とか、こうあるべきとか、そういうことをベースにして物事を見るのはよそう」と。

で、どうしたかというと、それが冒頭に書いた

「OKを出す」

ってことだったんです。

良くてもいい。悪くてもいい。

これはすべてのことを諦めるとか、どーでもいいとか、そういうことじゃなくて、

自分自身がいい状態であるためのベースとなる考え方なのです。

 

会社の方向性がイケてなくてもOK

会社員だった頃、フリーターだった頃、会社が事業に関わる人たちを幸せにしていないと感じるのが不満でした。

– どうして目先の利益に走ってしまうのか?

– どうして関わっているひとたちより会社の利益を優先してしまうのか?

– どうして経営陣には現場の状況が見えないのか?

などなど。

でもよほどバランス感覚の優れた経営者でもなければ、財務状況が悪化すれば視野が狭くなるものだし、視野が狭くなれば長期的な視点は持ちづらくなる。

そんな人を経営陣に入れること自体がおかしいのかもしれないけど、そもそも世の中そんなに優秀な人ばかりいるわけでもないから仕方のないこと。

経営がうまくいかない状態で現場を見に行けば非難される可能性だってある。

否定されることは大抵の人にとって心地いいことではないのだから、現場から足が遠のくのも人間として普通のこと。

良くはないけどOK。

仕方のないこと。

不満なら転職すればいい。

もしくは自分が決定権のある立場になるしかないのです。

否定しても何も変わらない。

 

同僚が怠け者でもOK

自分が一生懸命やっていると、適当にサボって同じ報酬をもらっている人を否定したくなることもあります。

サボっていることに上司が気づかないように上手く立ち回っていることもあるし、上司がサボっていることを許容していることもある。

そもそも一生懸命自分が働いているのは何のためなのか?

うまくサボれないから一生懸命やる羽目になってるなら、仕方のないこと。

自分の能力不足。

自分の成長のために一生懸命働いてるなら、サボってる人を見て不満を持つこと自体が自分のモチベーションにとってマイナス。

不満を持つこと自体がもったいない。

 

それにサボるというのも一つの技術。

必要最低限の労力で得たい報酬が得られるってすごいこと。

自分にその能力がないなら、その人から学んでもいい。

上司が分かっていながら許容しているなら、それはその上司にとってなんらかのメリットがあるということ。

許容することでサボっている人との摩擦を避けることができているのかもしれないし、自分が知らないだけで、その人はサボりつつも他の人のモチベーションを上げているのかもしれない。

自分がダメな職場だと思っても、ほかの人にとってはとても居心地のいい職場かもしれない。

いろんな職場があっていい。

すべての職場が完璧である必要はない。

だって自分には辞める選択だってできるのだもの。

ほかの職場に移る自由があるのだもの。

 

食べ過ぎちゃってもOK

以前は太ってる人って自己管理ができない人だと思ってました。

どうして「太りたくない」「ダイエットしたい」と口にしながら食べ続けるのか不思議で仕方がなかったのです。

でも自分が実際にお遍路中に食べることをコントロールできなくなってよく分かった。

食欲をコントロールするのは人によっては簡単ではないと。

置かれている状況で難しくも簡単にもなる。

 

食べ過ぎてしまって気分が悪かった時、落ち込みそうになりました。

どうしてこんなに意志薄弱なのかと。

でもよくよく考えてみると、

落ち込んで何の得があるんですかね?

食べることをやめられない自分を責めたら何の得があるんですかね?

なんのメリットもない。

食べ過ぎたからって太るだけ。

病気になるだけ。

経過が悪ければ死ぬだけ。

なんの問題があるんですかね?

 

問題を感じたら、人は本気になれます。

だから、自分をコントロールできないことを責める必要はない。

コントロールできなくてもOK。

本当は食べることをコントロールする必要なんてないのかもしれません。

 

人を傷つけちゃってもOK

僕は意図せず人を傷つけちゃうことが過去に多々ありました。

悪ノリしちゃうこともあれば、褒めたつもりが本人にとっては傷つくことだったり、知らずに地雷を踏んでしまったこともあります。

後になって自分で気づくこともあれば、人に指摘されて気づくこともありました。

たいていそのあとモヤモヤする。

人の心の痛みが自分の痛みのように思えて苦しくなる。

 

反省し、また同じ過ちを繰り返さないことは大事です。

でも落ち込む必要はない。

失敗を良い経験として、自分の糧にすればいい。

傷つけてしまったことは良いことではないことかもしれない。

でも未熟な自分にそれを止めることはできなかった。

過ぎてしまったことで自分を責めても仕方がない。

失敗は未来に繋げればOKなのです。

 

戦争もOK

戦争は絶賛するような良いことじゃないと思うけど、OKなんです。

だって戦争を必要だと信じている人もいるんだもの。

その人にとっては正しいことなんだもの。

 

戦争は必要悪だと思っている人に「戦争は良くない!」と否定したらどう思うか。

「わかってないなぁコイツは」って思うかもしれないし、

「現実を知らないくせに綺麗事ばかり言うな!」って思うかもしれない。

もう話し合いの余地がなくなりますよね。

 

だから、まずはその人の信じていることを認めてあげる。

まずはOKを出す。

「なるほど。そういう考えもあるのか!」と。

そう思えれば、戦争を必要悪だと思っている人も「ちょっと話してみるか」って思える気がするんです。

 

どんな極端な意見も考え方もOK。

人にはそれぞれ違う考え方があって、それはどうしようもないこと。

だからまずはOK。

僕はそう思います。

戦争 = ダメ で思考をストップしちゃうことのほうが危険な気がする。。

自分の角度からは見えないことはあって当然なのだから。

 

手の中にいつもある宝物

僕は多くの人が笑顔で、幸せな気持ちで暮らし、人に優しく接しながら生きていく世界になったらいいなぁと思っています。

人によっては「そんな世界は気持ち悪いし、心地よくないわい!」って思うだろうけど、そんな人とも仲良く笑顔でやっていきたい。

そのためにはやっぱり自分が笑顔でいないと。

こうあるべき、とか、こうじゃなきゃいけないとか思ってたらどうしても人相悪くなるし、打算的になる。

そういう考え方ではまったくうまくいかなかったから、自分も他人も無理せずに気持ちよくお互いを理解しながら生きるために、あらゆることにOKを出していきたい。

認めていきたい。

そしてどんな時も上機嫌でありたい。

人が一緒にいて楽に思えるような、一緒にいたいと思えるようなそんな自分でありたい。

 

こうじゃなきゃいけない病をやめ、OKを出すようになってから、自分を責めることがなくなりました。

OK、OK、仕方ないよね、とやっているうちに、暗い表情になりかけてた自分が自然と楽な気持ちになってふんわり笑顔になっていきました。

 

いつも笑顔だと不幸になるのは難しいです。

だっていいことが起こりやすくなるから。

 

今日は10月23日。

実は僕の42歳の誕生日。

そんな節目だけど、今日から何かをはじめる、そんな必要はない。

これからも全てのことにOKを出していく。

そして死ぬまで家族と仲間と出会う人たちみんなと幸せに暮らす。

どんな苦境に立っても大丈夫。

だって今この瞬間、手の中には宝物があるからね。

OKという宝物が。

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