不食者の定義 – 不食はもっとカジュアルでいい

 

僕は自らを不食者と名乗っている。

(記事を書いたときはそうでしたが今は不食愛好家と名乗っています)

でもまったく食べない人ではない。

今は毎日夕食を家族と一緒に食べている。

 

先月実際に3食食べない暮らしを1週間やった結果、家庭内の雰囲気はすさんだ

奥さんの僕への愛情は薄れ、彼女はどんどん元気を失った。

そんなことがあったから僕は3食抜きの継続をやめる決意をし、1日1食、夕食をいただくようになった。

再び食べるようになって家庭内の雰囲気は、不食実験をはじめる前よりも良くなった。

不食によって僕の雰囲気が柔らかくなったこともあるけど、夕食の時間がより楽しいものになったからだと思う。

 

1日に1回だけいだたく食事の美味しさはハンパではない。

毎回「こんなに美味いものが世の中にはあるのか!」と感動の涙が流れそうになる。

けっして食べることが嫌いだから食べないわけじゃないのだ。

食べない時間が心地いいからそうしたいだけなのだ。

笑顔に包まれた食事は本当にすばらしい。

 

そんなことがあったから、食は家族との大切な時間、友人との大切な時間を生み出してくれる素晴らしいものだと思うようになった。

人として生きて行く上で、人生をもっと輝くものにするための道具として、食というツールは素晴らしい。

 

でもきっと不食者って聞いたら、一般ではまったく食べないひとをイメージするかもしれない。

世界仰天ニュースで取り上げられるような人たち。

食だけでなく水も飲まないひと、太陽凝視によってエネルギーを受けているひと、木の下で何年も座り続ける少年。

驚くべきことに呼吸をしなくても生きていけるひともいるようだ。

世界にはたくさんの信じられない人たちがいる。

 

それはそれで多様性として素晴らしいけど、そういう人たちだけを不食者というのはなんだか窮屈な気がした。

不食がステキなライフスタイルとして楽しむ人たちが増えたら、地球はもっとステキな星になる。

そんな思いも込めて、不食という言葉をもっとカジュアルなものにしたいと思った。

 

「食べない時間を愛する人たち」

 

僕は不食者をそう定義しようと思う。

 

不食という言葉の起源

不食という言葉を生んだのは、人は食べなくても生きられるを書いた山田鷹夫さんだ。

僕と不食との出会い 」でも書いたけど、僕は10年前この本と出会い、不食の世界に足を踏み入れた。

 

山田さんの本の中では不食者とは「人は食べなくても生きられるということを知っている人のこと」と定義されている。

長年まったく食べずに暮らしている人とは定義されていない。

世界では食べないで生きている人が増えているらしく、ブレサリアン、呼吸だけで生きる人という言葉が生まれているようだ。

飽食の国では多くの病気が生まれる反面、飽食ではない国に暮らす人たちがそういった病気にほとんどかからないことが知られはじめ、「人がもっと健やかに暮らすためには食を減らしたほうがいいのではないか」という地球レベルでの気づきが進んでいるのかもしれない。

 

僕の住む日本でもそういった流れは進んでいるようだ。

不食に関してツイートしたり、不食をテーマにしたブログを始めてから、実は多くの人が1日1食で暮らしていることがわかった。

彼らはひっそりと少ししか食べない暮らしを続けている。

 

実際僕も体験したが、食べない暮らしをしていると人に言うと、半分以上は好意的な反応は返ってこない。

恐怖に似た表情を浮かべる。

僕が裸足で街を歩いている時にそれを見た人が浮かべる表情と同じ。

普通に3食食べて暮らしている人にとって、食べないということは命に関わる問題で、命を危険に晒す行為なのだろう。

 

でも実際に食べないで暮らしてみると、その快適さ、安らかさを知ることができるのだが、そこに到達するまでは長年かけて染み付いた食への執着の大きさに驚く。

だから安易に勧めることはできない。

移行期がうまくいかず、暴れまわる食欲に翻弄される時間は、時に自己嫌悪を生み出すから、その人を不幸にしてしまいかねない。

 

そういうことを分かっているから不食者たちは発信もせず、ひっそりと暮らしているのだと思う。

不食はもっとカジュアルでいい

不食という言葉はもっとカジュアルでいい。

ライフスタイルのひとつとしてこの世界に馴染んでいけばいいと思う。

ベジタリアンのような感覚で。

厳格なベジタリアンもいるけど、友人との食事は肉も食べる人たちだっている。

スタイルはいろいろだ。

 

ランナーというライフスタイルもある。

でも彼らは四六時中走っているわけではない。

日常の中にランニングというアクティビティを取り入れ、人生をよりステキなものにしている人たち。

それがランナーというものだと思う。

 

不食もそんな感じになればいい。

だってやってみれば分かるけど、健やかで優しい気持ちになって穏やかに暮らせるのだもの。

 

僕はこうじゃなきゃいけないという頑なな姿勢より、これもあり、それもありという柔軟な姿勢のほうが自分も周りもラクに生きていけるから好きだ。

 

不食という言葉をもっとカジュアルにしよう。

 

この世界を優しさに包まれた世界にするために。