僕の英語学習史 – 振り返ってみたら英語学習は冒険だった!




 

こんばんは、イカ太郎です。

昨日、セブ物語11日目の日記を書いていたんですが、気がつけば僕の英語学習の経緯を徹底的に掘り下げた記事になっていて、あまりにもそれが膨大なので、分離しました。

分離元になった日記はこちら。

焦燥感と孤独感に襲われる – イカ太郎のセブ物語11日目

 

今書いているこの記事は僕の人生にずっとつきまとってきた英語との因縁を綴った冒険物語?です。

 

今回セブに来て、僕はもう日常会話なら問題がないなって思い始めています。

英語を使って世界中どこへでも行ける。

いろんな人の話も聞ける。

きっとビジネスでもやっていける。ビジネス用語を覚えればw

中学生から英語を学び始めてかれこれ30年。

長かった…

 

ほとんどの時間は日本で学習し、外資系の会社に入るわけでもなかったし、日常的に英語を使うこともなかった。

そんな環境で英語を学び続けた日々のことをしっかりまとめました。

英語学習って実は面白いものなんだなって思ってもらえたら嬉しいな。

 

それではイカ太郎の英語学習冒険物語、はじまりはじまり〜♪

 

英語学習の原点(5歳)

実は僕、5歳までシンガポールで育ちました。

40年前だからシンガポールは今みたいに大発展してませんでした。

うちのオヤジのいた会社は、大企業がバブル崩壊後にこぞって海外進出した時代の前から海外生産を始めた会社だったから、今みたいに東南アジアは発展していませんでした。

外国人は超レア。

なので僕は外国人向けのマンションでメイドさんの英語に触れながら育ちました。

おかげで5歳の時点で英語はペラペラだったそうです。

そして帰国。

 

最初は千葉県野田市に引っ越し、幼稚園に入った。シンガポールから引っ越して来た子として。

そして半年後に今度は埼玉県越谷市に引っ越した。やはりシンガポールで育った子として。

その時、埼玉県の幼稚園で聞かれた質問が今でも頭に残っています。

「ねぇ、英語喋ってみてよ!」

喋ろうと思ったけど、まったく何の単語も思い浮かべることさえできませんでした。

帰国して1年も経ってないのに。

唯一覚えていたのはABCの歌。

結局ABCの歌を歌ったのだけど、そのくらいなら日本の子供でも知ってる。

期待でワクワクしていた数人の子供達の顔があっという間にガッカリ顔に変わりました。

 

僕は英語がしゃべれないんだ。

 

この時の出来事が僕の英語学習の原点です。

 

いきなり中学の英語の先生に嫌われる(12歳)

小学校では英語のクラスはないので、そのまま英語の知識はゼロのまま中学生になりました。

ついに英語の勉強ができる!

そう意気込んで望んだ英語の授業、最初はThis is a pen.から。

ネイティブの発音が教室のスピーカーから流れ、それを生徒も繰り返す。

何人かの生徒を指名して発音させ、先生が直していく。

 

しかし僕は疑問だったのです。

「どうしてテープの音と先生の発音は全然違うんだろう?」

そして質問した。

「どうして先生の発音とテープの発音は違うんですか?」

そしたら先生の顔がみるみる赤くなって先生がこう言いました。

「それならお前が発音してみろ!」

その勢いにたじろぎましたが、やらざるを得ない状況なので立ち上がり、発声しました。

「This is a pen.」

「今の発音がいいと思うやついるか?」

クラス:しーん。

僕は何も言えないまま席に座ったのでした。

苦々しい英語学習デビューでした。

 

大学2年にNOVAにハマる(20歳)

結局中学と高校ではひたすらテストのために英語を勉強する日々でした。

全然面白くなかった。

単語を覚えるのも、文章を読むのも苦しくて仕方なかった。

 

でもずっと英語を喋れるようになりたいという思いがあった。

 

そうして僕は大学生になり、男子校から解放され、華やかな女子のいる世界へ。

キラキラした大学1年を過ごし、2年生に。

ところがなんだか生活がマンネリしはじめます。

遊びも面白くないし、勉強も面白くない。

 

そんな時に池袋の駅前を歩いていたらNOVAの看板があったのです。

今でも不思議なのですが、なぜかそのビルに吸い込まれ、気がつけば5階に上がり、スタッフの綺麗なお姉さんの話を聞いていました。

そして契約する気マンマンになっていました。

NOVAのキレイなお姉さんマジック。

 

家に帰って母親に言いました。

「NOVAに通いたいので59万円欲しい」

母親はぶったまげていましたが、少し考えて言いました。

「子供の頃から貯めていたお年玉があるからそれを使えばいいわ」

そうして僕のはじめての英語学習ブームがやってきたのです。

 

NOVAでの英語学習は本当に楽しかったです。

フリートークルームがあって、そこにものすごく熱心な大学生4年生が2人いて、その2人と仲良くなりました。

その2人の影響で先生ともスタッフとも仲良くなり、学校の有名人みたいになって、先生たちとも飲みにいくようになりました。

NOVAの近くに外国人が集まる通称 RED ROOM という不思議なバーがありました。

ボロボロのビルの7階くらいにあったと思います。

真っ暗な店内は結構広くてダンスもできる。

酒の値段も安い。

ビールをカウンターで頼んで話し始めると不思議なほど英語が喋れる

世界が広がったように思いましたね。

「きっと俺はいつか英語をペラペラ話せるようになる!」

そう思ったのを覚えています。

 

衝動的にアメリカ・サンフランシスコへ

僕ら3人は学校に通う誰よりも成長し、どんどん上のクラスに上がっていきました。

そして思った。

「アメリカに行ってみたい!」

その気持ちは衝動的なものでした。

HISに行って、すぐアメリカに行けるチケットを適当に買い、宿も予約せずに飛行機に乗り込んだ。

高校生の時、父親の赴任していたマレーシアに行ったことがあったのでパスポートはありました。

いざアメリカへ!

 

そしてサンフランシスコの空港へ到着。

入国手続きを終えて出口を出て、外国人だらけの空間を見た時、はじめて我に返った。

「ど、どうしよう…」

 

どうやってダウンタウンまで行ったらいいんだろう?

どこに安く泊まれる宿があるんだろう?

しばらくうろたえていたけど、カバンの中には新品の地球の歩き方があったのでチェック。

バスの乗り方を確認し、訪ねる宿を決めてバスターミナルに向かったのでした。

地球の歩き方があってよかった!

 

少し話せると思っていた英語も、実際にホテルで部屋が空いてるか聞こうとしたら、緊張でまったく声にならなかったのを覚えています。

「ちゃんとした英語を話さないと通じない」と思ってたから考えすぎてしまう。

通じなかったときに他の言い方が思いつかずうろたえてしまう。

はじめてのひとり旅はそんな感じでビクビクしながらスタートしたのでした。

 

ユースホステルのスモーキングルームマジック

サンフランシスコはいい街でした。

1つ1つの家がとても可愛く、いつも空は晴れていて美しかった。

1960年代にはヒッピーやゲイの中心的な街だったから、芸術的な雰囲気が漂う。

初日は安いホテルに泊まりましたが、2日目以降はユースホステルのドミトリー(相部屋)に移動しました。

ユースホステルのスモーキングルームに来る旅行者とたくさん話しました。

いろんな旅行者がやってきて、それぞれの体験談や自分の国のことを話してくれる。

ギターを持って旅している人もいて、みんなで歌ったりすることもあった。

彼らの出かける先を聞いて、面白そうだったら1日同行させてもらうこともありました。

結局2週間滞在。

日本に帰って来たあと、電車の中で聞こえる日本語がしばらく英語に聞こえていました。

「あれ?あの人英語しゃべってる?」

よく聞くと日本語。

そのくらい脳みそが英語モードに変わっていました。

スモーキングルームマジック!

 

こうして僕の1回目の英語ブームは終わりました。

なんか満足したんですよね。

とりあえず英語が少し喋れるようになったから。

でももっと上のレベルを目指そうと思ったら単語をたくさん覚えなきゃいけない。

それがつまらなくてイヤだったから飽きてしまったのだと思います。

それから大学を卒業し、社会人になり、会社をやめるまでは英語の勉強は一切しませんでした。

 

そういえば大学生の時に一度どのくらいの実力なのか知りたくてTOEICを受けましたね。

450点でした。

 

次は会社員をやめたあとにやってきた英語ブームについてお話しします。

 

ハリウッドで役者になりたいと思ってロサンゼルスへ(28歳)

学生の時のことや社会人でのことはこれらの記事に書いてあるので割愛します。

詳しすぎるプロフィール – こうして僕はアプリ開発者になった

詳しすぎるプロフィール(学生編)- こうして僕は社会人になった

 

会社の仕事が人生のすべてだった僕は方向を失い、さまよっていました。

何をしたらいいのかさっぱりわからない。

そんな時に思ったのが役者になるというアイデアでした。

ハリウッド映画が好きだったから。

役者の養成所を探したら、ハリウッドのメソッドをいくつか使った養成所が渋谷区で見つかったので入団。

役者の勉強自体はとても面白かったのですが、人間関係がうまくいかずに劇団員と揉めてドロップアウト。

「ハリウッドで役者を目指します」

と、今思えばバカとしか思えないセリフを吐いて飛び出しました。

 

でもハリウッドで役者になるなんてどうやったらいいのかさっぱりわからない。

でもネットで調べてみたら、ロサンゼルスでCMの役者などもやっている日本人が家を複数借りて、そこに日本人を住ませ、大学にくっついている語学学校に通わせる、

そんな形でアメリカ格安語学留学を提供しているOffice Ableを見つけました。

 

今回はお金がなかったので、オヤジにお願いした。

「アメリカで役者になりたいのでお金ください」

死ぬほど説教されました。

どんなバイトも続かないし、役者になるって言って通いはじめた養成所も半年足らずでやめてしまった息子。

中学受験をさせ、高い私立に大学まで10年間通わせたのにろくな結果も出せない息子。

両親の落胆たるや大変なものだったと思います。

しかし、やりたいと思うことを止めることもできなかったのでしょう。

お金をくれ、最後は成田空港まで車で送ってくれたのでした。

 

コウビルド英英辞典との出会い

アメリカに行く前から英語の勉強を開始しました。

いろんな本を買って勉強していたと思います。

そして電子辞書も買いました。

カシオのいいやつ。

 

そろそろ英英辞典を使うべきタイミングが来ているような気もしていました。

英単語を日本語で調べると、ニュアンスがズレる感じがしはじめていたので。

もっと高い精度で英単語を頭に入れたい。

 

しかし、電子辞書に入っている英英辞典の超定番・オックスフォードで調べてもなんだかよく分からない。

これなら英和辞典を使った方が理解もできるし、なによりスピードが早い。

でもいつかは英英辞典に切り替えないといけないことは明白。

だから諦められない気持ちを持っていたのです。

 

そんな時に読んだ英語学習法の本に、コウビルド英英辞典というものがあることが紹介されていました。

(すいません、どんな本だったかは忘れました。ただ、英語学習法に関して書いてある本はとても有益です。学習スピードを上げてくれるアイデアが満載なのでぜひお試しを!)

どんな辞書か簡単に説明すると、

例えば fairly という単語をオックスフォードで調べるとこんな結果が出てきます。

( fairly はちょうど今朝僕が調べた単語です)

Oxford

to some extent but not very

ちょっとよく分からなくないですか?

しかし、コウビルドだとこうなります。

COBUILD

Fairly means to quite a large degree. For example, if you say that something is fairly old, you mean that it is old but not very old.

どうですか?

語りかけるように丁寧に教えてくれる感じがしませんか?

 

僕はまるで謙虚な言語学者が教えてくれるような感覚を覚えました。

しかも、頻出レベルが3段階で記載されている。

よく使われる単語なのか、あまり使われない単語なのかが一目瞭然。

そんな辞書見たことなかったから感動しましたね。

 

とっても分厚い辞書でクソ重かった。

B5サイズで厚みも5・6センチもあるような代物だったんだけど、大好きになってしまいました。

新しい単語を知っていくことが大嫌いだったのに、この辞書に会ってからは新しい単語を調べるのが大好きになりました。

 

僕はこの辞書を携えてアメリカ・ロサンゼルスに渡ったのでした。

コウビルド英英辞典(米語版)第2版
辞書/辞典/その他, 教育¥2,300iOSユニバーサル

(今はこのアプリを愛用しています。時代は進んで音声データも入ってますからね。すごすぎる!)

 

日本の学生のノリが合わない

ロサンゼルスでの格安留学を提供しているOffice Ableはとてもいいところでした。

運営している日本人にはアメリカ人の友達が多く、頻繁にパーティが開かれ、アメリカ人の友達もできやすかった。

彼らとは夜な夜なたくさん話しました。

 

学校はロスのダウンタウンに近い場所にあって、地下鉄を出てすぐの場所にあり、便利なところでした。

中国人・韓国人・日本人が学生の大半を占めていました。

中国人や韓国人のクラスメートと過ごす時間も楽しかった。

同じアジア人だけど、考え方が全然違う。

つたない英語でお互いに話していたけど、話の中身が面白かったから夢中で話せました。

 

ところが、日本人との会話が苦しかった。

彼らはあまり英語を学ぼうというモチベーションが高くなかったから。

ただなんとなくロスで日本人とつるんで暮らしているだけ。

学生ならビザも発行されるから長期滞在できる。

そんな理由で学校に来ている子が多かった。

 

そして残念なことにOffice Ableの借りている家で一緒に住んでいるのはそんな日本人たち。

僕はコウビルド英英辞典と教科書を持ってガリガリ勉強をしていたんだけど、彼らはずっとブラブラしている。

彼らが勉強しないことは全く問題なかった。

勉強するしないは人の自由。

 

ところが次第に彼らはOffice Ableの批判をしはじめたんです。

ぼったくってるとか、住環境が悪いとか。

僕はそんな風にはまったく思いませんでした。

運営している彼は真摯に学生に対応していたと思うし(ただ、時間にルーズなのは問題だったけど)、価格もぼったくっているとは思えなかった。

ふつうにアメリカに語学留学したらもっともっとお金がかかる。

 

そんな彼らの態度に我慢ができなくなってしまった僕は、ここでもまたやってしまいました。

本当は3ヶ月いるはずだったんだけど、2ヶ月で帰国。

 

ただ良かったのは、今でもOffice Ableを運営している人とその友達との友情関係は続いていること。

あれから10年以上経ったけど、彼らが日本にきた時は会っています。

これからも大切な友達として続いていくと思う。

彼らは僕のかけがえのない財産です。

 

ハリウッドで役者になるという目標はアメリカに行って早々に諦めました。

Office Ableを運営する彼の話を聞いて、エージェントを探さなければならないこと、契約金がかかること、オーディションのことなどを聞いていたら全然やりたいと思えなかった。

大変すぎる。

なので、2ヶ月間のアメリカ滞在では英語だけを勉強していました。

おかげで大学生の時よりも少しだけ語彙力、ボキャブラリーが増えました。

でも日本に戻ったら、英語を使う理由もないのでまた英語学習はやりませんでした。

こうして僕の2回目の英語学習ブームは終わったのです。

 

先が見えないから英語学習(33歳)

3回目のブームは30代になってから来ました。

30代に入ってからは僕はホテルでウエイターのバイトをしながら、興味のあることをやってました。

学生バスケの大会をビデオで撮影してインタビューして編集するバイトや、自転車で小さな荷物を運ぶバイクメッセンジャーの仕事など。

不食の本に出会い、初めての不食実験をしていたのもこの頃です。

僕と不食との出会い

 

不食実験を終えた時、ほかにやりたいことが何もなかった。

そこで思いついたのが英語の勉強でした。

「今はまだ仕事に使えるレベルじゃない」

「もし英語が喋られるようになったら英語を使った仕事をできるかもしれない」

そんな動機で始めたのでした。

 

このブームでは英語学習における多くの気づきを得ました。

この時が英語力がもっとも伸びた時期だと思います。

 

瞬間英作文との出逢い

この頃はホテルのバイトをしていたので、使えるお金がありました。

それまでは学習教材といえば本しか買ったことがなかったけど、高い教材であっても本当にいいものだと思ったら買おうと思ってました。

お金をケチって学習時間が長くなるより、お金を払って短い時間で効果的に学ぶ方がいいと思った。

そこで見つけたのが、瞬間英作文のトレーニングプログラムでした。

YouCanSpeakというPC上で行う学習プログラム

(10年経った今でもあるんですね)

当時6万円ほど払ってはじめました。

高かったけど、これがものすごく良かった。

言うべき短い日本語を提示してくれて、それを瞬間的に英語にしていく。

短い文章さえも簡単には作れなかった僕が、あっという間に文章にして言葉にすることができるようになった。

会話に使える表現もどんどん増えていった。

これを毎日やっていく過程で思いました。

「これを続けていけば喋れるようになる!」

 

でもね、今は人にはこのYouCanSpeakはまったくオススメしていないです。

値段が高すぎるし、こんな本が出てきたから。

これで十分。

ただ、この本にはPCプログラムと比較した時、どうやっても勝てない弱点がある。

・継続が苦しいこと

・飽きてしまいがちになること

 

このブームのあと、友達の知り合いの美容師がニューヨークに行くことになり、1回2000円で10回ほどレッスンをしたことがあったんです。

やったことは2つ。

英語学習のコツと、先ほどの本を使った瞬間英作文。

僕が瞬間英作文の本を見ながら出題し、彼が答えていく。

 

これをやった時に気がついたんです。

瞬間英作文は2人二組でやると劇的に楽しくなるし、飽きないし、継続できると。

 

だからね、可能であれば、瞬間英作文は2人でやることをオススメします。

英語を学ぶ楽しさも、話す能力も劇的に変わりますよ!

 

ランゲッジ・エクスチェンジ

瞬間英作文で「話せる気がする!」と思った僕は、実際に英語を話すチャンスを探しはじめました。

それで見つけたのがこのサイト。

https://www.mylanguageexchange.com

 

(今でもまったく同じ形で残ってますね)

自分の学びたい言語を話せる人と、自分の話せる言語を学びたい人を結びつけるサービス。

無料で使えるので、世界中から多くの人たちが登録しています。

ここで僕は英語ネイティブの人を探しはじめました。

最初はオーストラリア人の20代の女の子。

でも話が合わないのと、オーストラリア人特有のアクセント(例えばdayがデイではなく、ダイになる)がどうしても合わなかったので断念。

そして次にセッションしたのが、横須賀の米軍基地で原子力潜水艦の技師として働くアメリカ人男性でした。

あのころ僕が33歳で、彼は29歳くらい。

 

週に2回、1時間半スカイプで話しました。

前半は英語での会話。

後半は日本語での会話。

 

これがすごく楽しかった。

人と人との会話において言語が使えることは大切だけど、何より”その人と話が合うこと”がもっと大切なことなのだと思いました。

自分がどういう人間でどういう暮らしをしていて、どんな考え方をするのか。

そういうことを毎回話しました。

僕は彼の話が興味深かったし、彼も僕の話が興味深かったようです。

 

マインクラフト + スカイプ

その彼をDと呼ぶことにしましょう。

Dはネトゲが好きな人でした。

僕はネトゲはやったことなかったけど、時々ゲームを紹介してくれて、世界中の人と話しながら協力しながら戦えるんだと話してくれた。

ネトゲでは韓国人や北欧の人たちが多くいて、彼らは英語を話しながらゲームすることなども。

そんなある日、Dが興奮しながら僕に言いました。

「ものすごいゲームが出た!」

「今はリリースされたばかりでベータ版だからバグもあるけど、このゲームは世界中でヒットする。一緒にやろう!」

それがいまをときめくマインクラフトだったのです。

9年前。

日本で知られるようになってきたのはモバイル版が出て、マイクロソフトが買収した2014年くらい。

3年前。

ずいぶん先取りしていたものですね。

マインクラフトを産んだ天才プログラマーの話を書いたこの本は本当に面白いのでおススメです。

とんでもなく素晴らしいものは偶然から生まれる。

 

僕は子供の頃からゲームをやらずに育ったので、あまり気乗りはしなかったのですが、Dがあまりにも楽しそうに話すものだから、ベータ版のそのゲームを買うことにしました。

たしか500円くらいだった気がします。

今は3000円ですから、かなり安くゲットできたわけです。

 

サーバーはDが用意してくれて、接続方法も教えてくれた。

いざ、マイクラの世界へ!

 

これがとんでもなく素晴らしい経験でした。

このゲームはミッションなどはなにもなく、ただただ広大な世界にポンと投げ出され、その世界の中で自分の生きる場所を作っていく、そんなゲームです。

やったことないとさっぱり分からないと思うけど。

ゲームなのかどうかさえ怪しい。

なぜならこのゲームが生まれるまで、ゲームというのは目標が提示され、それをクリアしていくものだったから。

ところがこのゲームには生きること以外、やらなければならないことは何もない。

自分で決めていい。

その世界での自分の生き方を。

 

スカイプで英語で話しながら、その日にやることを打ち合わせし、実際に作業に入る。

一緒に生きていく上で必要な単語が次々に耳に英語で入ってくる。

この時の英語学習感覚は僕の表現力では伝えきれない。

とにかくすごかったです。

マインクラフトを英語ネイティブとプレイするのは本当にオススメ!

いつかこの英語学習方法がデフォルトになるといいなぁ。

 

横須賀どぶ板通りのバーでリアル英会話

Dとは実際に会って、彼の友達とも会いました。

アメリカ人の知り合いがどんどん増えていくのが面白かった。

横須賀にはドブ板通りという海軍基地で働くアメリカ人が集う大きな飲屋街があります。

そこによく行きました。

リアルなアメリカ文化にそこで触れることができました。

知らない人とビリヤードで勝負したり、知らないアメリカ人と飲み始めて意気投合すると酒をおごってくれたり。

日本では考えられないような世界。

日本の中にあるアメリカでした。

いきなり飛び込むのはちょっと勇気がいると思うけど、ビリヤードでもやれば必ず話すチャンスがあるから、武者修行として飛び込むのはありだと思いますよ!

 

米軍基地でアルバイト

どぶ板通りで飲む以外にも、Dの友達の住む大きな家で誕生日パーティを祝ったり、サンクスギビングでは七面鳥の代わりにチキンを焼いて祝ったりして、アメリカンライフを満喫していましたが、もっと日常的に英語を使いたいと思ったのでDに相談したところ、

「基地の中に日本人のためのアルバイトがあるよ」

という情報を教えてくれました。

基地の入り口にある建物の中に掲示板があって、いろんな求人がありました。

事務職・技術職・清掃・レストランでの調理・ウエイターなどなど。

事務職や技術職は僕の英語力では無理。

そして選んだのが、フードコートでの調理 & 接客でした。

中華料理のファストフードでの仕事。

一緒に働くのは日本人とフィリピン人。

フィリピン人は英語ペラペラだったけど、僕ら日本人とのコミュニケーションは日本語。

だから仕事を通して英語を使うことはあまりありませんでした。

ご飯を買いにくるアメリカ人のお客さんとは言葉を交わすけど、

・いらっしゃいませ。

・何にしますか?

・会計は__ドルです。

・ありがとうございました。

という定番の接客をひたすら繰り返すだけ。

英語の勉強としては全然効果的ではありませんでした。

 

そんな状況をDに話したら、

「それなら僕と一緒に日本語を教えるボランティアクラスを始めよう!」

と提案してくれました。

すげー!そんなことできるんだ!

 

米軍基地内で日本語を教えるボランティアを始める

Dが軍の施設に申請して1ヶ月くらいでクラスがはじまりました。

最初の1回目は本当にドキドキしたことを覚えています。

「本当に人が来るのかなぁ?」

「大丈夫。ちゃんと来ると思うよ」

フタを開けてみたらびっくり。

用意した全ての席が埋まるほど来てくれました。

 

毎週クラスが終わるとDと次の週の打ち合わせをして、資料を作る。

Dがメインの講師をして、僕が日本語のニュアンスを説明する。

そんなコンビで結局このクラスは2年ほど続きました。

Dがハワイに転勤になったあとは、基地内で知り合った日本語がペラペラの若いアメリカ人が跡を継いでくれ、さらに英語がペラペラの日本人の大学生の女の子も加わりました。

最盛期のクラスの写真がこちら。

すごくないですか?

たいてい基地内で暮らす人たちはその国の言葉なんて学ばずに英語で済ましちゃうんだけど、わざわざ日本語を学ぼうなんて思う人たちなんでいい人が多いんです。

僕らがボランティアだからって、めちゃくちゃ美味しい手作りクッキーを作ってくれたオバちゃんもいました。

お世辞抜きでとんでもなく美味しかった。

日本でもチェーン展開されている「ステラおばさんのクッキー」よりおいしかったですね、確実に。

 

生徒さんたちとは仲良くなったので、皇居に行って、新橋の飲み屋に行くというツアーも組みました。

一日中英語をしゃべりまくり。

日本にいたってこんな状態は作れるんですね。

そんなこんなで基地での英語体験はバイトはいまいちだったけど、日本語クラスのお陰で素晴らしいものになったのでした。

この日本語クラスが後に僕がiPhoneアプリ開発者になるきっかけになったのですから、人生って分からないですよね。

 

コワーキングスペースで英語部

Dの友達でものすごく日本語学習に熱心なやつがいました。

名前はAとします。

AはDの仕事の同僚で、やはり原子力潜水艦の技師です。

めちゃくちゃ頭のいいやつで、教えたことを次々と覚えていってしまう。

でもその頃は基地でやっていた日本語教室は終わっていて、僕もアプリ開発者になっていた。

なので、それほど会う機会がなかったのです。

でももっと会って一緒に日本語の勉強をしたいというので、僕がアプリ開発をしていたコワーキングスペースで毎週木曜日に英語の会を開くことにしました。

通称・英語部。

何をやろうかなと思った時、すぐに思いついたネタがありました。

漫画で英語を学ぶ。

 

ずっと漫画で英語を学べたらいいなと思っていて、スラムダンクやクレヨンしんちゃんの英語版を買ったりしていたのですが、セリフはすべて口語だからニュアンスが分からないことが多かったんです。

でも口語だからリアルな英語でもある。

自分で読んでもニュアンスはわからないけど、ネイティブがいればニュアンスを説明してもらえる。

それに彼以外は日本人だから、Aにとっても日本語を喋るチャンスがふんだんにある。

お互いwin-win。

そんなわけで教材は漫画。

一緒にやりたいと言った僕の友達がワンピースが好きすぎたため、彼の願望を尊重してワンピースを使うことにしました。

 

進め方はシンプル。

・まずアメリカ人のAが日本語のセリフを読む。

・そして日本人が順番に英語のセリフを読む。

・1ページ終わったら、わからなかったところをみんなで話す。

これだけ。

 

この学習法は本当によかったですね。

ネイティブ感覚というものをたくさん教えてもらえた。

英語教材では手に入らない“感覚”というものを。

メンバーもすごく仲良くなって、今でも友達関係は続いています。

英語学習を通して仲のいい友達がどんどん増えていく。

英語学習って素晴らしいですね。

 

英語学習を加速させたアプリ・Ankiとの出会い

昨日の記事で紹介したアプリ・Ankiを教えてくれたのもAでした。

Ankiがどういうものかは昨日の日記で使い方などもしっかり書いたので、そちらを見ていただけたらと思います。

発音記号 + アプリで英語学習を高速化! – イカ太郎のセブ物語10日目

このアプリを使ったことで、僕の英語学習が学んでもどんどん頭から抜けていくものから、学んだ内容が頭にとどまるようになりました。

学習効率が飛躍的に上がった。

忘却曲線という人間が覚えたことを忘れていく仕組みを利用して、復習すべきタイミングを計算して出題してくれるアプリ。

学習に無駄がなくなったし、頭の中に定着されるようになりました。

Aが教えてくれた英語のニュアンスと、このAnkiというアプリは僕の宝物です。

本当にいいアプリなので、ぜひ使ってみてくださいね。

AnkiMobile Flashcards
教育, 仕事効率化¥3,000iOSユニバーサル

 

そして今僕はセブにいる

サウスピークで本気留学

読んでくださってありがとうございました。

これが僕の英語学習人生です。

今僕はフィリピンのセブ島にいて、サウスピークという語学学校で英語を学んでいます。

 

ここへ来て本当に良かったのは、発音のレベルを飛躍的に上げることができていることです。

 

今まで僕は発音記号が読めませんでした。

だからほとんどの発音は耳コピ。

でもどうしてもカタカナ英語や学生時代に学校で教わった発音が邪魔をしてきたんです。

結果、単語によっては自信を持てずに発音してた。

モゴモゴしちゃう。

でも発音記号が分かり、口をどう操作すればいいかわかったら、自信を持って発音できるようになりました。

 

自信を持って発音するって最高に気持ちいいです。

どんどん進んでコミュニケーションを取っていけます。

今までNOVAやアメリカの語学学校に行ったけど、発音や文章の組み立て方のカリキュラムは、今いるサウスピークにはまったく歯が立たないと思います。

 

いわゆるセブの語学留学のような青春キャンパスライフではないし、行動の自由度も低いけど、本気で英語力を伸ばしたいなら、ここへ来て間違いないと思います。

ステマではありません。

本音です。

時間とお金が許すなら、僕みたいに回り道したくないなら、サウスピークで本気留学は一行の価値ありですよ!

 

さいごに

いかがでしたでしょうか。

英語の勉強って冒険みたいじゃないですか?

ただただ勉強するだけでなく、どうしたらもっと楽しめるだろう?、どうしたら飽きずに続けられるだろう?と試行錯誤し続けることが大事なのかなとこれを書いてみて思っています。

 

僕自身何度も挫折して英語学習をストップしているから言うのだけど、挫折していいと思う。

また興味が出て来たときにやり直しても遅くない。

何度でもやり直せばいい。

人生は短いようで、思ったより長いです。

そんな長い人生に英語というものが加わったら、世界が広がって、それまでの人生とはひと味違うものになると思います。

皆さんの英語人生が実り多きものになりますように!

僕も英語を使ってどんどん世界を広げていきますよ!

 

おしまい。

 

 

イカ太郎のセブ物語 一覧




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です