遺言ブログをはじめよう – 子供のためにできること

 

 

僕はこのブログをかつての自分のために、そしてかつての自分のような境遇にある人のために書いています

でも実はもう一つの側面があります。

 

それは遺言。

僕はこのブログを娘への遺言だと思って書いています。

今日はなぜ僕がそんな気持ちで書いているのかについてお話したいと思います。

 

祖父母の話をもっと聞きたかった

大学を卒業してサラリーマンをしていた4年半の間に祖父母が次々と亡くなりました。

その頃は親戚の叔母もふたり亡くなり、我が家は何かの呪いにかかっているのではないかという状態で、うちの親父なんて神社でお祓いをしてもらおうとしていたくらい。

 

僕は当時写真屋のチェーン店で働いていて、埼玉と群馬のお店を回ってスタッフとお店の管理をしていました。

両親の実家があったのは埼玉県北部にある美里町という場所。

会社は大宮にあったので、群馬の店で仕事を終えた時には大宮には戻らず、おじいちゃん・おばあちゃんの家に泊めてもらったりしてました。

子供の頃は正月やお盆に家族で行っていたけど、社会人だったこの頃は一人で訪問。

周りに家族や親戚がいるとおじいちゃんやおばあちゃんと過ごす時、じっくり話すことはできないんだけど、1対1で話すと、時々おじいちゃんやおばあちゃんの本音がポロッとこぼれる。

ずっと思っていたけど誰にも話せなかった気持ちや、70年にも渡る人生におけるエピソードなんかも時々聞かせてくれました。

 

僕は彼らの話を聞くのが大好きでした。

社会人として働き始めて、めちゃくちゃ楽しかったのものの、大人として生きるってなんだろう?人生ってなんなんだろう?みたいな気持ちも芽生え始めていたから、

長い人生を生きてきたおじいちゃんやおばあちゃんの話がこれから自分が生きて行く上でなんらかの有用な情報を含んでいるはずと思ったのです。

おじいちゃんおばあちゃんの話は当時大好きだった映画鑑賞みたいでした。

 

おじいちゃんが若い時本当はやりたかったこと。

戦争と家族の事情でその道には行けなかったこと。

やりたくもない教師の仕事をしながら「宮勤め」はツライなぁと思っていたこと。

(おじいちゃんは雇われて働くことを「宮勤め」と呼んでいました)

 

嫁として嫁いで舅とうまくやれなくて苦しかったおばあちゃんの話。

自信が空回りして近所とうまくやれなかった話。

 

とても静かな田舎の一軒家で聞く彼らの話はとても面白くて、少し哀しかった。

僕はもっともっと聞きたいと思っていたけど、時間が許しませんでした。

みんな死んでしまった。

 

本当は両親の話ももっと聞きたい

両親との距離感って難しい。

ずっと一緒に生きてきたから存在が近すぎて、改めて自分のことを語るのは恥ずかしい。

僕もそうだし、両親もそう思っていると思います。

 

実家に戻った時もどうしても素直になれない。

子供が生まれて両親の気持ちが以前より分かるようになったし、どういう思いで子供だった僕と過ごしていたのかも以前とは違う角度から見られるようになった。

 

でも、僕は彼らの子供で、大人になって結婚して親になった今でもたいして自立できてないから、悔し紛れで強がっちゃう。

両親も両親でいつまでたっても僕を自分たちの子供だという意識があって、上下意識みたいなものを持っているから、ひとりの人間として僕と向かい合うことは難しいみたい。

もしそのうち僕がもっと自立して、両親も僕をひとりの人間として見ることができるようになれば、状況は変わるのだと思うけど、どうなるかはわかりません。

いろんな家族が世界にはあるけど、これが僕の生まれ育った家族の形なのだから、受け入れるしかないのです。

 

正直なところ、両親の話をもっと聞いてみたいなぁと思います。

彼らがどんな人生を送ってきたのか、何十年も一緒に過ごしてきたのに何も知らない。

やってきたことの断片は知っていても、その時どう思ってきたのかは全く知らない。

僕か両親が死ぬまでに聞けたらいいけど、「話してくれ」と言ったところで話せるものでもない。

過去の記憶って大まかなものは残っているけど、細かいところや、その時の感情などを呼び起こすには時間がかかる。

思い出って脳の奥でゴチャゴチャになってるから、整理しないと出てこない。

引っ越しの時に出てくるアルバムを見た時に時が止まったように見入ってしまうのは、忘れていた記憶を呼び覚ますからだと思う。

逆に言えば忘れてしまっているんだよね。

 

もしかしたら娘も同じ思いを持つようになるかもしれない

今娘は2歳。

ちっちゃな人間です。

しかしたったの2年だけど、瞬く間に育っています。

立てるようになり、歩けるようになり、話せるようになり、意思疎通がしっかりとれるようになった。

パパのこともママのことも大好きで、一緒にいると家族3人笑顔が絶えません。

彼女はぼくらふたりに大量の笑顔をもたらしてくれた。

 

そんな彼女もいつかは大人になります。

今でも十分大人のメンタリティを持っていると思うけど、まだまだ子供だから自分のことで精いっぱい。

でもいつか壁に当たった時、自分だけでなく周りにも目を向け始めると思います。

壁に当たるまでは自己中心的でいい。

それが僕の考え。

外から入った変なモラル間で「人のために」とかやるとおかしなことになっちゃうのは、僕が十分に体験したこと。

社会的な道徳やモラルは危険な道具。

 

僕は今娘に対してオープンマインドであろうと思っています。

親だからって偉そうにするつもりは一切ないし、彼女を子供扱いするつもりもない。

ひとりの人間として、弱いところも見せていこうと思っています。

 

だけど、いざ「パパって何してきた人なの?」って聞かれた時に素直に話せるかって言ったらどうなるか分からないし、おじいちゃんおばあちゃんの時同様に話す時間が足りないかもしれない。

僕が何をしてきて、その時どう感じ、何を学び、どういう考え方をするにいたったのか、

そんな細かいところまで話せるとも思えない。

 

ブログなら細かいところまで伝えることができる

でもブログならその役割をはたせる。

娘が僕がどういう人間なのか興味を持ったらブログを読めばいい。

もしかしたら、本当に興味を持つのは僕が死んだあとかもしれない。

その時僕はいない。

話すことはできない。

 

僕が死んだあと、僕と話したい気持ちになるかもしれない。

そんな時、ブログが残っていれば、僕と話しているような気持ちになれるかもしれない。

すべては「かもしれない」だし、そうなるとも限らないんだけどね。

ほぼほぼ僕の自己満足。

でも起こらないとも限らない。

だから僕は「僕はこういう人間なんだよ」「こんな人生を送っていたんだよ」

そう娘に伝えられる道具としてブログを考えています。

 

遺言ブログをはじめよう

「家族のために財産を残そう」

そう思う人は多いと思う。

特に昭和の人たちにはその傾向が強いように思う。

でも、財産って本当に欲しい?

親から残してもらいたいものってお金や財産?

僕は正直そんなものいらない。

娘に対してもそんなものより大切なものを残したいと思う。

生きていく力。

これこそ残すべきものだと思う。

じゃあ生きていく力ってなんのか?

それは知識や能力だけじゃなく、「愛されているという実感」なんじゃないかと思う。

 

「私は両親にこんなに愛されていた」

そう思えたら、無力で絶望していたとしても生きる力が湧いてくるんじゃないかと思う。

 

僕の人生は娘のためにある。

あの子のために僕はこれからもこのブログを書き続けたい。

そう思っています。

 

もし子供がいてブログをやっていない人、

将来子供を持つかもって思っている人、

ためしにブログを始めてみませんか?

遺言ブログだと思って書くと、違った世界が見えてきますよ。

 

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