ブログは親が死んだあと子供のために遺せる最大のギフト

 

おじいちゃんやおばあちゃんが死んだとき、

「あの人達のこと何も知らなかったな」

と思いました。

 

そして今、自分の親がどんどん歳を重ねるなか、やはり同じように思っている自分がいます。

「この人のこと、何も知らないな」

 

僕はこのブログをかつての自分のために書いています。

でも実はもう一つの側面があるのです。

 

それは遺言

僕はこのブログを娘へのプレゼントだと思って書いています。

今日はなぜ僕がそんな気持ちで書いているのかについてお話したいと思います。

祖父母の話をもっと聞きたかった

大学を卒業してサラリーマンになったあと、祖父母が次々と亡くなりました。

その頃は親戚の叔母も2人亡くなり、何かの呪いにかかっているのではないかという状態でした。

神社でお祓いをしてもらおうとしていたくらい。

 

僕は当時写真屋のチェーン店で働いていて、埼玉と群馬のお店の管理をしていました。

そのエリアに両親の実家があって、仕事の合間に祖父母の家に立ち寄ったり泊めてもらったりしていました。

 

周りに家族や親戚がいるとあまり話さない祖父母も、1対1で話すと昔あった出来事の話や本音をポロッとこぼすのです。

ずっと思っていたけど誰にも話せなかった気持ちも時々聞かせてくれました。

 

僕は彼らの話を聞くのが大好きでした。

社会人として働き始めて仕事は楽しかったのものの、

生きるってなんだろう?人生ってなんなんだろう?

という気持ちも芽生え始めていたからです。

長い人生を生きてきた祖父母の話がこれから自分が生きて行く上でなんらかの有用な情報を含んでいるはずだと思いました。

おじいちゃんとおばあちゃんの哀しい過去の話

父方のおじいちゃんが若い時本当になりたかったのは獣医でした。

しかし戦争と徴兵、跡取りであるという家族の事情でその道には行けませんでした。

やりたくもない教師の仕事に就き、「宮勤めはツライなぁ」と思っていたそうです。

(おじいちゃんは雇われて働くことを「宮勤め」と呼んでいました)

 

嫁として嫁いだものの姑とうまくやれなくて苦しかったおばあちゃんの話も聞きました。

ご近所付き合いがうまくできなかった話も。

 

静かな田舎の一軒家で聞く彼らの話はとても面白くて、少し哀しかった。

僕はもっともっと聞きたいと思っていたけど、時間が許しませんでした。

みんな一気に死んでしまったからです。

本当は両親の話ももっと聞きたい

両親との距離感って難しいです。

ずっと一緒に生きてきたから存在が近すぎる。

改めて自分のことを語るのは恥ずかしいのです。

僕もそうだし、両親もそう思っていると思います。

 

でも正直なところ、両親の話をもっと聞いてみたいなぁと思います。

彼らがどんな人生を送ってきたのか、何十年も一緒に過ごしてきたのに何も知らないから。

僕か両親が死ぬまでに聞けたらいいけど、「話してくれ」と言ったところで話せるものでもない。

過去の記憶って細かいところや、その時の感情などを呼び起こすには時間がかかるものですしね。

 

こればっかりは流れに任せるしかないです。

話してくれるればラッキーだし、聞けなければ運命だとして諦めます。

 

もしかしたら娘も同じ思いを持つようになるかもしれない

今娘は2歳。

ちっちゃな人間です。

しかしたったの2年だけど、またたく間に大きく育っています。

立てるようになり、歩けるようになり、話せるようになり、意思疎通がしっかりとれるようになりました。

パパのこともママのことも大好きで、一緒にいると家族3人笑顔が絶えません。

彼女はぼくら夫婦に大量の幸せをもたらしてくれました。

 

そんな彼女もいつかは大人になります。

大人になった娘は「パパって何してきた人なの?」って思うかもしれません。

果たして僕はうまく自分のことを伝えられるんでしょうか?

ブログなら細かいところまで伝えることができる

でもブログならその役割をはたせます。

娘が僕がどういう人間なのか興味を持ったらブログを読めばいい。

僕は自分の人生をブログに赤裸々につづっているから、僕という人物像をはっきりと理解できると思います。

 

できれば直接話してあげたいけど、もしかしたら早く死んでしまうかもしれない。

人生何が起こるかわからないのです。

 

もし僕が死んだあと僕のブログを読んだら娘はどう思うんでしょう?

僕から話を聞いているような気持ちになれるんでしょうか?

僕が死んでも娘が僕のことを思い出すためのツールとしてこのブログが機能してくれたら嬉しいなと思います。



遺言ブログをはじめよう

「子供のために財産を残そう」

そう思う人は多いと聞きます。

特に昭和生まれの人たちにはその傾向が強いように思います。

 

でも、財産こそが子供に遺すべきものなのでしょうか?

僕は生きていく力、

これこそが子供に遺すべきものだと思うのです。

 

じゃあ生きていく力ってなんのか?

それは知識や能力ではなく、

「愛されているという実感」なんじゃないかと思うのです。

 

「私は両親にこんなに愛されていた」

そう思えたら、無力で絶望していたとしても生きる力が湧いてくると思います。

 

もし子供がいて、

子供のためになにかしてあげたい。

 

子供のために何か残してあげたい。

そう思っているけど何をしたらいいのか分からないなら、ためしにブログを始めてみませんか?

遺言ブログだと思って書くと、違った世界が見えてきますよ。

 

👇こどもとの接し方を考える上でぜひ読んでもらいたい本

「できるかな」のノッポさんは子供と接する天才だと思います。