死ぬからこそ蘇る – 裸足で神輿を担いできたら愛と全能感が溢れ出た

 

昨日は温泉で有名な湯河原に神輿をかつぎに行ってきた。

今年は夕方からは土砂降りの雨。

みんなずぶ濡れ。

しかし土砂降りゆえに気分は高まり、最高の祭りになった。

みんな本当はすぶ濡れになるのが好きなんだ。

でも普段はケータイやら財布やらをポケットにしまっているから躊躇する。

祭りならお祭り衣装しか着ていない。

だから、、

みんな最高の笑顔だった。

祭りを終え、素晴らしい時間を共有した仲間と酒を交わし、飯を食い、幸せな気持ちで電車に揺られて帰ってきた。

夜10時に家に着き、幸せな気持ちのまますぐに寝た。

ぐっすり寝た。

たっぷり寝た。

そしてスッキリと目が覚めた。

ところがたったの2時間半しか経ってなかった。

普通なら一晩寝ると、昨日のことが嘘のように普通の自分に戻っていることも多いと思う。

ところが今でも昨日の幸せに包まれている。。。

ほんと、なんなんだよ、これ。

伝統的で厳かな湯河原のお祭り

湯河原は神奈川県と静岡県の県境にある温泉で有名な街だ。

江戸時代には名湯ゆえに将軍家までお湯を献上していたらしい。

こじんまりとした自然の豊かな土地で、海と豊かな山に隣接し、箱根にも近い。

そんな伝統のある湯河原らしく、毎年8月1日・2日に伝統的な地域のためのお祭りが催される。

出店が出てワイワイするようなタイプの祭りではない。

街はしめ縄と紙垂で飾られ、神社には厳かで巨大な旗がはためく。

神社には地域の老若男女が伝統的な衣装を身にまとい集まる。

メインのお神輿を担ぐのは地区を守る消防団だ。

かつてはワルかったであろうお兄さん方の集まり。

しかし不思議なもので、昔ワルかった人ほどいい人が多い。

確かにみんな荒い。ラフだ。

口も悪い。でもその言葉には愛がある。

僕はそんな彼らが大好きだ。

毎年行くようになったワケ

実は僕はこの地にはゆかりはない。

出身地でもないし、住んでいるわけでもない。

5年前この地区出身の友人に誘われて初めて来た。

今は神輿の担ぎ手が絶望的に足りないのだ。

少なくとも12人は必要。

しかし消防団員だけでは人数が確保できない。

だから助っ人を呼ぶ。

僕も助っ人の一人として参加している。

神輿を担ぐのは楽じゃない

神輿は重い。見た目以上に重い。

8月1日は夏真っ盛り。たいていの年はカンカン照りでとんでもない夏日になる。

祭り衣装がびっしょりになるほど汗をかく。

担ぎ棒が肩に食い込む。

一日中ワッショイワッショイと声を張り上げる。

休憩ごとに酒を飲む

中盤のメインイベントは恒例の日本酒の回し飲みだ。

どんなに疲れていてもここでは意地を見せる。

疲れが溜まってきている時の日本酒イッキは足にくる。

僕の順番もしっかり回ってくる。仲間だからお客さん扱いはしない。

今年の酒は吉乃川。キリッと冷えててうまかった。

宮入り – クライマックス

神輿は最後は神社にお返しする。

しかしその前に最後にして最高のクライマックスがある。

それが宮入りだ。

地域のみんなに男たちの意地と迫力を見せる時。

少ない人数で5時間、ずっと担ぎ続ける上に酒まで飲んでいるから疲労困憊。

そんな中、男たちは最後の意地を見せる。

本当はスッと神社に戻ってしまえば楽なのだが、ここで最後の力を振り絞るのだ。

担ぎ手たちは神社には戻らねー!と言って暴走する。あっちへ逃げ、こっちへ逃げ。

それをなんとか神社に戻そうとする年長者たち。戻せ!戻せ!

戻らねー!戻せ!戻らねー!戻せ!

激しく動くものだから、人の足を踏んだりよろけたりして担ぎ棒が肩から外れそうになる。

しかし肩から外してしまったらその分が他のメンバーの負担となる。

ただでさえ少ない人数で担いでいる上に、その激しい動きだから、肩を外そうものなら神輿ごとみんなが潰れてしまう。

だからどんなに体勢が悪くなっても、絶対に担ぎ棒を肩から外すことは許されない。

意識が朦朧としてこようがなにしようが担ぎ続けるのだ。

力を振り絞っていると戻れ!戻れ!と激しく声を張り上げていた年長者たちの声が優しくなってくる。

「分かった!分かった!お前たちはよくやった!だからもう戻れ。」

でも担ぎ手たちは止まらない。もうトリップしてしまっている。

苦しいというゾーンを超えてしまうのだ。無限に続けられるような錯覚になってくるのだ。

「戻らねー!」

すると優しくなったはずの年長者が再び声を荒げる。「戻れって言ってるだろ!」ブチ切れである。

そんなやり取りが続いたのち、今度は年長者たちが意地を見せる。

力づくで、もう無理やりに神社に戻そうとする。

去年はそこで怪我人が出た。年長者の一人がエアコンの室外機に激突して足をザックリ切った。

そして担ぎ手たちも我に帰り、戻ることに同意する。

そうして静かにお宮に神輿は入って生き、台座の上に置かれる。

周りからは歓声と大きな拍手。

担ぎ手たちは笑顔でみんなと握手したり抱き合ったりして共に力を出し切ったことを称え合う。

夕暮れで、周りには蝉の声が響く中、心地よい時間が流れる。

こういう男たちの姿を見て育った子供は何を思うのだろうか。

祈祷

神主による祈祷が始まる。

頭を垂れ、目をつぶり、耳を声に傾ける。

静かな時。

僕はこの時間が大好きだ。

頭の中にはなんの言葉も浮かばない。

ただただ静寂さと安らぎが身体中に広がっていく。

心地よい疲れ。

来てよかったと心から思うのだ。

今年は裸足で担がせてもらった

みんな驚いていた。

「おい、お前、地面は熱くないのか!?大丈夫なのか!?」

「切れたりしないんですか?」

「どんな足の裏してるんですか!?」

開始の儀式の時、中高生たちが後ろでこそこそ話していた。

「裸足だよ?」

「足袋足りなかったのかな」

「いじめ?」

消防団員のメンバーが説明する。

「あいつはやりたくて裸足なんだよ。マラソンとかも裸足で走るくらいだから大丈夫なんだよ」

最初は担ぎ手も周りで見ている人たちもドヨドヨしていたが、時が経つにつれて落ち着いていった。

そして休憩のたびに言われた。

「お前、すごいな」

「まじ大丈夫なんすか?信じられないっす!」

「感心するよ」

僕は僕で裸足で神輿を担げることに喜びを感じていた。

一年で一番素敵な時間を裸足で過ごせるのだ。これ以上の喜びはない。

笑顔が止まらなかった。

ずっと笑ってた。

幸せすぎて実はあまり疲れを感じなかった。

ただただ多幸感に包まれていた。

あえて死地に飛び込むからこそ得られるもの

僕はこの祭りのことを「一年に一度死にに行く日」と呼んできた。

死ぬような思いをした後にあれほどの幸せがやってきて、その後数週間はエネルギーに満ち溢れる。

一年目にそれを知ってからというもの、僕にとってはなくてはならない行事となった。

どんなに物事が上手くいかない時期にあっても、これがあれば仲間の笑顔を見て、愛情に触れ、体をリセットすることで物事を好転させることができる。

それがこの祭りなのだ。

自分の底力を再確認する日。

普段出し切れてない力を出し切る日。

不完全燃焼の日々を完全燃焼させる日。

人の持つ優しさや愛に触れる日。

社会は実は優しさに満ち溢れていることを再確認する日。

こういった恵みは自ら死地に飛び込むことで初めて与えられる。

飛び込まない限り与えられることはない。

 

一歩踏み出してしまえばいいのだ。

どんなに大変なことも始まってしまえば予想外にできてしまうものだから。

 

今年は裸足でチャレンジしてみてよかった。

みなさん、ありがとう。

またよろしく。

 

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