10日間の日々
0日目:センターに到着
夕方3時に千葉県にある茂原駅に着き、4時すぎのバスで合宿所近くのバス停に向かった。
1日に3本ほどしかないバス。乗り遅れたらタクシー代3300円を払わなければならない。そのくらい田舎な場所。
普段はほとんど人の乗ることのない駅のバス停に、たくさんの合宿参加者が集まっていた。
全体的にエキゾチックな雰囲気の人が多い。外国人の姿も目立つ。総勢30名ほどがバスに乗り込み、ぎゅうぎゅう詰めのバスに揺られて30分、目的のバス停「睦沢中央公民館」に着いた。
(補足:バス乗り場3番から小湊鉄道バスに乗車。茂原駅15:30発睦沢中央公民館15:57着)
到着すると、瞑想センターのスタッフらしい人が待っていた。見た目が日本人っぽかったので日本人かと思ったら外国人だった。日本語はペラペラだが、アクセントがある。とても明るい人。30名近い人を数回に分けて瞑想センターまでバンでピストン輸送してくれた。
県道のような道から田んぼ沿いの道に入る。とにかく人がいない。民家もほとんどない。そんな静かな場所に目的地、ダンマーディッチャはあった。

到着時に撮った写真
「ダンマーディッチャへようこそ!」
運転してくれたスタッフさんはそう言って僕らを瞑想センターの入り口に降ろした。
バスに乗っている間も、到着してからも誰も口を開く者はいなかった。瞑想合宿がどういうものかみんな知っていたからだと思う。聖なる沈黙の10日間はすでに始まっていた。
着いた。 pic.twitter.com/496i7x0sGT
— イカ太郎@裸足で旅するプログラマー (@ika_tarou) February 21, 2018
到着してすぐに荷物を預けた。衣類や歯磨きといった生活必需品以外は全て預ける。修行のマイナスになる電子機器や本、ペンとノート、そして財布も預けた。
現実社会からのシャットアウト体制は整った。
預けた時、ちょっとすっきりしている自分に気がついた。スマートホンもパソコンも便利だけど、自分を縛るツールでもある。常に人からのアクセスに晒されているし、やらなければならないことを思い出させる。
そんな所持品とのしばしのお別れ。預けただけで捨てたわけではないのに断捨離した時のようなスッキリ感があった。
センターの設備
荷物を預けた後、宿舎に向かった。男女の生活エリアは完全に分離している。荷物を預けた食堂から見て右半分が女性エリア、左半分は男性エリアになっていた。

宿舎の建物は2つあった。A棟とB棟と呼ばれている。A棟はドミトリー。18人分のベッドが並んだ最初に建設された宿舎。

男性宿舎 A

男性宿舎A内部
ダンマーディッチャで瞑想合宿が始まった12年前からこの最初の宿舎ができるまでの間、参加者は10日間、キャンプサイトで寝泊まりしていたらしい。
僕が泊まったのはB棟だった。個室棟。全部で14の部屋に分かれている。

男性宿舎Bと、かつて使われていたキャンプサイト(右側)
一つ一つの部屋はベッドと瞑想台があるだけのシンプルなものだけど、内装も寝具も清潔で心地よかった。

男性宿舎Bの個室

瞑想台
トイレ・シャワー棟は宿舎から少しだけ離れた場所にある。
トイレ・シャワー棟

洗面所・洗濯は手洗い・脱水だけ洗濯機を使える

シャワーは3つ。一番左が広い。湯船はついているが誰も使わない

トイレ。休憩時間は並ぶこともある
オリエンテーション
18時から食堂で食事。19時からオリエンテーションが始まった。
(18時に鐘が鳴って知らせると言われていたので待っていたのだけど、B棟の部屋の中には全く聞こえず、結局夕食は逃してしまった。しかし結果としては空腹が感覚を研ぎ澄ましてくれたのでよかったと思う)
オリエンテーションでは瞑想センターでのルールやセンター内の構造、そして合宿期間中の1日の流れについて説明を受けた。

1日のスケジュール表
最初のグループ瞑想
オリエンテーションが終わるとさっそく瞑想の時間となった。20時から1時間。
ダンマーディッチャの中央にある瞑想ホールに全員が集まった。

瞑想ホール入り口
中に入ると座布団が並んでいて、各座布団の場所に番号が振られていた。
僕は11番の席。学校のように毎日自分の席で瞑想をする。

瞑想ホール内
最初に置いてあるのは座布団と小さなマクラのようなもの。
座り方は人それぞれ自由でよく、結跏趺坐で座るなどの強制はない。
仏像は大抵結跏趺坐で座っているし、禅僧なんかも結跏趺坐で座るけど、瞑想センターは自由だった。

結跏趺坐を強要されることはない。座り方は完全に自由
座る場所のカスタマイズも可能。
毛布・小さなマクラ状のもの、バスマットを小さくカットしたものなどがホールの入り口近くに置かれていて自由に使える。

座布団・小さなマクラ・カットされたバスマット・毛布
2月だったから、外はとても寒かったのだけど、瞑想ホール内は快適だった。
床暖房が効いていて、空気が柔らかい。照明もうっすらとついているだけで、その暗さが神秘的で心地よかった。
誰一人しゃべる者がいない静寂。自然の中で、しかも冬だから虫も鳴いていない。静けさだけで心が洗われる思いだった。
録音音声による指導
全員が席につき、しばらくすると指導者がホールに入ってきた。
日本からインドに渡ってヴィパッサナー瞑想を学び、感銘を受けて帰国後瞑想センターを作った人だと勝手に想像した。最終日までこの瞑想センターを作った人なのだと勘違いしていたのだけど、実際にはインドの本部から認定を受けたAC(アシスタントティーチャー)だった。
参加者と指導者が向かい合った。先生(指導者)は誰からも見えるように一段高い場所に座った。先生は口を開かない。目も閉じている。
シーンと静まり返ったホールの中で「このあとどうなるんだろう?」と思っていたら、音声がスピーカーから流れ始めた。
このコースではゴエンカ氏と通訳の女性による録音音声を使って瞑想を誘導・指導していく。
基本的に先生が話すことはない。
目を閉じ、呼吸に集中するように言われた。鼻の中に入っては出ていく空気を感じる。
鼻全体と鼻の下のエリアに意識を向け、雑念にとらわれいることに気がついたら、再び呼吸に意識を向ける。ただそれだけを1時間やり続けた。
ずっと独学でやってきた瞑想はまさにそれだったから、やること自体は簡単。完全にここ数年流行っているマインドフルネスの手法だった。
しかし今まで自宅でやってきたマインドフルネスは、最長でも30分だった。1時間も坐ったことはなかったので、体が痛かった。足が痛み、腰やお尻が痛む。何度も座り方を調整したが、すぐに体が痛くなってしまう。そんな風にモジモジしまくっていたらようやく1時間が経った。かなりホッとした。
1時間座るということの大変さを知った0日目だった。
1日目:モーレツな体の痛みと眠気
起床
起床は4時だったのだけど、2時に目が覚めてしまった。
時計を持っていなかったので、時間がわからない。
顔を洗いにトイレ・シャワー棟に行った。
シャワー棟にある時計を見て、2時であることにびっくりした。
「時計のない生活というものはこんなにも体まかせな暮らしなのか!」と思った。
起きた時間が起きるべき時間。
太陽が時計がわりという生活が理想だなとは思ったけど、共同生活で時間のスケジュールがある場合にはそういうわけにいかない。
(結局、僕のいた男性宿舎Bには時を知らせるゴングが聞こえないことがわかり、不便で仕方がなかったので、翌日に目覚まし時計を借りた)

貸出用の目覚まし時計は食堂にある

食堂横の東屋についているゴング。これで時間の区切りを知らせる。宿舎から遠いため聞こえづらい。A棟は聞こえるらしいが、B棟内では聞こえない
夜中の2時だったが、すっかり目が覚めてしまったので、そのまま起床時間の4時まで起きていることにした。
読む本もないので、部屋の中でぼーっとする。本当に何もすることがない。贅沢な時間なのかもしれないけど、退屈でもあった。
どうせ瞑想しにきているのだからと思って、瞑想をすることにした。前日に教えてもらった鼻の呼吸に意識を向ける。睡眠が足りてなかったのかウトウトしながら。
半分眠りながら瞑想台に座って瞑想していたら向かいの部屋から目覚ましの音が聞こえてきた。どうやら向かいの部屋の人は目覚まし時計を持ってきたらしい。やっと4時。起床時間だ。
他の人たちの部屋からガサゴソ音が聞こえ、みんなシャワー小屋に向かって行った。
1日の流れ
各自瞑想
4時半から6時半まで2時間は各自で瞑想する時間。
2時間の瞑想時間は途方もなく長く、そして眠かった。気がつくと座ったまま寝てた。
眠い。とにかく眠い。呼吸に集中し続けることができない。
1時間半が経った6時ごろ、先生がホールに入ってきて音声を流した。ゴエンカ氏によるパーリ語の読経。
パーリ語というのは現在は使われていない言語で、ブッダが生きていた頃に北インドで使われていた言葉。
ブッダが伝えた話をパーリ語で教えてくれるんだけど、もちろん意味は分からないし、音楽のようでもあるので、余計に眠気を誘う。大学の大講堂で行われる授業の眠さといい勝負。
たったの20分ほどの読経タイムが無限に感じられるほど長かった。体も痛い。
読経が終わり、6時半の朝食の時間を告げるゴングが聞こえた時、救われるような思いだった。
食事
朝食は玄米菜食のヘルシーな食事がビュッフェ形式で提供される。玄米と味噌汁と漬物、そして野菜のサラダが一品、パンもあった。

使った食器は自分で洗う。食事は奥にあるテーブルにビュッフェ形式で並ぶ

テーブルは狭め、参加者の多いときはぎゅうぎゅうになって座るらしい
食堂の後ろにはドリンクコーナーもある。お茶や紅茶、コーヒーが飲める。
玄米が大好きだからすごく嬉しかった。玄米にごま油をかけ、味噌をトッピングして食べるスタイルにハマった。美味しすぎてセーブが効かない。それから4日ほどはこの玄米・ごま油・味噌にハマりまくった。
お昼ご飯は11時。その後は食べられないから、美味しい玄米を思い切り食べておこうと思ってしまう。
しかし食べ過ぎは修行の邪魔をした。食べ過ぎによる疲労感も出てきたので2日後1日断食することになる。
グループ瞑想
8:00、14:30、18:00から1時間、1日に3回グループ瞑想が行われる。
最高にサボろうと思えばこの3時間は瞑想し、夜の講話2時間を聞くだけの暮らしもできるが、誰一人としてそんな風に過ごす者はいなかった。
各自瞑想の時間もみんなホールに集まる。他の人の頑張りに触発されてみんな熱心にやっていた。驚くほどやる気のある人ばかり。
瞑想を体得してその後の人生に生かしていくんだという気概を感じた。
体の痛みとの戦い
しかし初日はとにかく体が痛かった。
骨盤の上に綺麗に上半身を載せたいのだけど、うまく載っていないようでどんどん腰が曲がってくる。
腰が曲がる結果、体の重みが肋骨の下、横隔膜あたりに負荷としてかかってきて、かなりの痛みだった。
お尻も痛い。足も痛い。痛みで集中できない。
痛みから逃避したいと頭が思うのか、気絶するように座りながら眠ってしまう。
痛み→寝る→痛み→寝る、そんなことを1日中繰り返していた。
1時間が途方もなく長く感じた。そろそろ終わりかな?とか思っても半分くらいしか経ってなかったと思う。一度「そろそろ終わりかな?」とか思ってしまうと、残りの時間は苦痛で仕方がない。
とにかく体の痛みと眠さで苦しい1日だった。
1日を過ごしてこう思った。
「ガチの修行。お気楽な気持ちで参加するのは危険」
「自分は瞑想経験があるから楽勝なんじゃないか」と始まる前は思ってた。そんな余裕はわずか1時間で消え去った。
とはいえ、最終日には1時間なんて余裕で座れるようになるのだけど。
講話
夜のグループ瞑想の後、19時から21時までは講話の時間。
ブッダの教えや瞑想をすることの意義などについて説明する音声を聞く。
初日はブッダの説いた八正道(はっしょうどう)という考え方についてだった。解脱するためにやるべき8つのこと。
解脱・悟りというのものは、言葉だけ捉えると漠然としていて分かりづらいものなのだけど、案外定義は簡単。
「一切の苦しみから解放されること」
ブッダが人々に提供しようとしたのは苦しみからの解放だった。
正しい生活スタイルを確立し、正しい言葉を使い、正しい考え方をし、正しく自分をコントロールし、瞑想を通じて苦しみをなくす知恵を手に入れる。
簡単に言えばそれが八正道。
2時間の講話は途方もなく長かった。
日本人のナレーターによる音声が流れる。同じような内容を手を変え品を変え説明する。一度話せば済んでしまうような内容を何度も何度も違う表現で伝えてくる。拷問のようだった。
日本人は瞑想ホールでこれを聞き、日本語の分からない参加者はミニホールという別の建物で講話を聞く。
後になって知ったのだが、実はミニホールで流されるのはビデオによる講話だったらしい。
英語でゴエンカ氏自身が話し、英語字幕も付いていて、それがめっぽう面白かったと外国人の参加者が言っていた。ゴエンカ氏のたとえ話をふんだんに盛り込んだユーモアたっぷりな話を聞きながら、参加者は心の中でクスクス笑っていたらしい。
日本人向けの講話は拷問だったので、次回参加するときには英語クラスに参加したいものだなと思う。
ひたすら痛みと眠気に耐えた1日目はこんな風にして終わった。

瞑想センターの夜は月が明るく輝き、星も美しかった(写真は実物ではなくイメージです)
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